お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

怖いけども、行く。

メール受信欄に何年かぶりの差出人の名前があった。

本当に思いがけない友人からだった。大学時代の友人で私とよく似たテンポの彼女は二人揃って仲間から「危なっかしい二人」と呼ばれていた。

似た者同士の私たちは授業の合間に外苑前の銀杏並木を見に行き「きれいだねぇ」と言いながらただ、ぼんやり眺めたり、北の丸公園にいっては芝生の上で寝転んで「空がきれいだねぇ」とするのが好きだった。

高尾にある校舎で夕方までみんなで居残って課題をしていたとき、売店におやつを買いに行っていた彼女が、たたたたたっと小走りで走りこんでくるやいなや、

「みんなっ!夕陽がすっごいきれいだよっ!渡り廊下のとこから今!すごいよ!」

と叫んだ。

「ホント?」

と駆け出していったのは私だけで、二人で夕焼けをガラス窓から眺めて戻ると教室にいたみんなは

「ハイハイ。まったく。あなた達は本当にわからんわ」

と呆れた。

どこかずれた二人なのだった。

時代はバブル真っ盛りで、女子大のキャンパスにはハイヒールの音が鳴り、ソバージュやワンレングス、マニキュアにお化粧の学生が学食や教室にたくさんいて、恋の話でキャーキャー言うのを疑問だらけで聞いていたのもこの二人で、彼と夜遅くまでデートしていたというのを聞けば

「なんでそんな遅くまで外にいて怒られないの」

と馬鹿げた質問をしては「黙って聞いてろ」と怒られた。

私は9時、彼女は私より厳しく7時以降の外出は許されず、本人達もそんなものだと思っていた。

 

「お久しぶりです。本当に。お誕生日が来ましたね。50歳のワールドへようこそ!お互いにいろいろあったね。あったことでしょう・・・。桜の頃、公園でお喋りしませんか。暖かいほうじ茶と蕎麦ボウロを持っていくよ」

泣きそうになった。

うんうん。このドン臭さゆえに、辛かった。ママ友、お受験、自分は意識しないのに巻き込まれる競争。夫、母とのあいだでの苦しさ。病気。大変だったよぉ〜。

彼女も代々続く都内の大きな地主さんの家に嫁ぎお舅、お姑さん、小姑さんに使え、一時は鬱になって入院もした。その後、三人兄弟の2番目の息子さんが家庭内暴力、登校拒否になってやっと乗り越えつつある・・というところが彼女との最後の通信だ。

あれからお互い連絡をしなくなったのは、なんとなく自分の調子が晴れ晴れとしていないことと、私は私で病後激しい鬱になり、外界をシャットアウトしていたからだった。

会いたい。あののんびりとした彼女との時間。ほうじ茶と蕎麦ボウロと意味なく空を眺めることの至福を同じ感覚で共有できる相手はそういない。外の世界をぐるっと経験してつくづく思う。

あの娘時代の無責任な安らいだ時間が懐かしい。

「会いたいよ。ただ、会って過ごしたい。気負うことなくポツポツお喋りしたいな」

本当は少しまだ怖い。

家族とお医者さんと近所の人以外のところに出ていくのはまだ怖い。

病気をして体重が減っている。

「そんなげっそりしたお母さんの姿で息子ちゃんのそばを歩いたら、あの子に気の毒だから、学校でははなれていなさいよ」

息子が高校時代、三者面談で学校にいくたびに言われた。そうか。私は醜いのか。

今はずいぶん吹っ切れて、それなりに今の自分と付き合っているが、何年かぶりに会った彼女はどう思うだろうか。びっくりするだろう。どうしちゃったのと思うだろうな。。

それは惨めなことか。そのとき私は惨めになるだろうか。

怖いのはそれなのだ。

 

それでもどう考えても今現在の私は満ち足りている。

あちこちに傷をつくってボロボロになった見かけはどうしようもない。

一歩踏み出そうか。

踏み出したい。踏み出そう。踏み出す時だ。

今の私で会いにいくのだ。