お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

ゆるす

見たことのないニックネームからラインが入った。ユミママ。ユミちゃん?そんな子息子の同級生にいたっけ。

「大学でご一緒した旧姓ミムラです。お元気ですか。」

あぁ!同じ学科でよく、学食で一緒に過ごした仲間のうちの一人だ。グループではなかったが、なんとなく、10人前後自然と固まり、課題をいっしょにやったり、おしゃべりをした。

それぞれ授業や登校日の違いで、どこまでで何人と、決まったメンバーではなかったが、学食にいくとだれかしら数人いるという、緩いチームだった。

彼女もその中の一人で特に親しくしていたわけではない。

大勢集ると誰かの彼の話を、それからどうしたと尋問するとき、私はいつも「へぇ」と聴く側で、彼女は「この間ね・・」と語るほうだった。二人きりになったときには「で、トンはどうなのよ。誰かいないの?」と聞かれもしたが、ない袖は振れず、そのときもひたすら聞き役だった。

しかし彼女は開けっぴろげになんでも言うのではなく、肝心の心の中の辛いことや不安なことまで打ち明ける人ではなかった。

卒業して彼女は東京の恋人と別れ、地元に戻り、そこで結婚した。年賀状には銀行員の真面目そうな人が、それから一人、もう一人と子供の顔も加わって、満面の笑みでちょっと得意そうにしている彼女がそこにいた。

私は年賀状に家族の写真を載せていない。自分が子供ができなかったとき、複雑だったことと、見てくださいと、貼り付けるだけの自信もないからだ。

「来週、東京にいくのだけれど時間があったら会えないかと思って連絡しました。時間があったらだけど」

会いたくない。瞬時に思う。

今の私は心から幸せだなぁと思う瞬間が毎日ポコポコ必ずある。それは奇跡のようだ。

それでも以前のように、おしゃれして会いに行こう、とは到底思えない。

倒れて、私はげっそり痩せた。どうにか日常をこなせる体力と、家族と冗談を言って笑うほどの心の余裕も取り戻してきたが、外見はまるで別人のままだ。

もうこのまま落ち窪んだ目と痩けた頬の痩せすぎのままのおばあちゃんになっていくのか、それならそれもいいかと開き直ってはいるものの、日頃会っていない、古くからの知り合いの前に出ていく勇気はない。

びっくりされる。同情される。憐れみの目で見られる。華やいだ美人の彼女に会い、せっかく穏やかな心がまた揺れ、惨めな思いをするのではないか。

はるばる東京に来るなんて滅多なにないことなのに薄情だろうか。

……世間体も善悪もとっぱらったらどうしたい?

行きたくない!

それじゃぁそれが本音の答えだね。

「せっかくなのにごめんね。週末は単身赴任の夫が帰ってきて息子の成人祝いをする予定なんだ。申し訳ない。」

夫が帰ってきたのも息子とお酒を飲んで祝ったのも、先週、もうやった。嘘をついた。

「そっか。了解。息子くん成人か。うちは今度高校受験、まだまだお金がかかるわ」

あっさり引く返事に心が痛む。

痛むのは誰のためだ。

彼女?自己中な自分?。

社交家の彼女は、大勢に声をかけ、集まる中の一人に私を加えてくれただけかもしれない。

しかし、みんな都合がつかずに断られ、最後の一人が私で送信してしてきたのかもしれない。

自分の容姿を気にして行きたくないとは。

やはり、少しだけでも会いに行こうか。

だめだ。気持ちがついていかない。

ごめん。ミムラ

もう少し時間をくれ。

きっと笑顔で駆けつけたくなるときは来ると思う。

本音を通した。自分を選んだ。

あとは宇宙の流れに委ねよう。

 

ダメな私を許すことにする。