お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

じわじわマイナーチェンジ

自分の周りに置くものを、厳選している。

嘘のないものだけにしたくなった。

時間も「やらなくちゃやらなくちゃ」とどうにか納得できる風にそれらしく過ごすくらいなら、何も生み出さずともただ、ぼんやり過ぎていく無意味で穏やかな過ごし方のほうが心地いい。そんな自分に観念した。

パッと目を引く流行を敏感に取り入れた服を着こなしている人を素敵だなと思う。そんなママさんをスーパーでも通りでもいっぱい見かける。だれもが雑誌のモデルさんみたいだ。

憧れと劣等感からがんばったこともあったけど、心地よく何度もタンスから引っ張り出すのはいつも、もっさりしてるけど、動きやすく多少汚れても気にならない、夏なら通気性のいい、冬ならひたすら暖かいものばかり。

「あなたは何着せてもダサいわね」

「少しはあなたも何か建設的なことしたら?」

「またそんなくだらない本読んで。お姉さんみたいに少しは自分を高めるものを読みなさいよ、恥ずかしい」

それが恥ずかしいかどうかは別として、母の目はさすがだ、言葉はキツいが、ズバリいいとこを鋭く突いていたというわけだ。

カッコと評価ばかり気にしていたころの鎧と仮面を剥ぎ取ってみたら、なんてことはない、私の好きなものはまさにダサくて、くだらなく意味のない、世の役に立たないことばかりなのである。

むしろそれこそが、好きなのだ。

それほど好みでもないくせに「これを読んだら」「こんな格好していたら」「こんな過ごし方をしてるのが見られたら」素敵な私になれるかもと、身の回りをかこっていたものがタンスや本棚に埋まっている。

無理にそれらを読んだり着たりはしなくなったが、捨てるまでの思い切りまでは至らず、そのまま、とりあえず保持してきた。が、それはイミテーションの自分を作る道具でしかない。

手放そ。

真っ裸になってしまお。

一気にやると精神的に消耗するので、じわじわじわじわやっている。

今日は本棚から「これを読んだらためになるかも」基準で買ったものを、取り出し古本屋に持っていった。

読んだ本もあれば、読みかけて投げ出したもの、買ってはみたものの読みもしなかったもの、見栄の固まりともいえる数冊を抜き出した。

本当にこれを必要とするのは私ではない。

800円で売れた。それから店内をうろつき、読みたい本をみつけ二冊、1080円で買ってきた。

帰って買ったばかりの本を机の上に置く。並んでる本はどれも何となく手をのばして読みふけってしまうものばかりになった。

本人にしかわからないマイナーチェンジだから、一見なにも変わってはいないが、不思議なことにたったこれだけのことで、机に座るとニンマリわくわくする。

ゆっくり時間をかけて、余計な鎧をとっぱらっていきたい。

そこでなにが見えるだろう。なにを感じるだろう。