お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

僕の奥さん

食器を洗い、鍋を洗い、ついでにステンレスの洗い桶と流しを洗う。

油物を食べたあとでなくても食器をつけておいた洗い桶の底には、いつもうっすら白く曇ったぬめりが残る。

スポンジを取り替え洗剤をちゅーっとかけ、桶の底、裏、縁、をこすり、そのままシンクも泡立てる。

この作業をやっていると必ず思い出す。

結婚して間もない頃、母がクラス会にいくため、実家に夕飯を作りにいったことがあった。めったに夜、家を空けることのなかった母だったから、姑と父ふたりきりで食事をさせるのは、とても気まずく、嫌だったのだろうと思う。

「あなた、ちょっときて二人の間にはいってよ」

事前に母から電話があり、指令をうけたのだった。

気難しい父と、父の気に触るようなことばかり言ってしまう祖母との険悪な食事は、テレビ番組にやたらひょうきんにツッコミを入れる私の軽薄さに父が笑うという方法でなんとか乗り切った。食事が済み奥の部屋にステレオを聴きに父が席を立つ。祖母も自分の部屋に戻った。

食器を片付け洗い、いつものようになんとなく自然な流れで洗い桶とシンクを洗っていた。

そこに、奥の部屋から出てきた父がそれをみつけて、こう言ったのだった。

「これ見よがしに、いつもやらないそんなとこまで洗わなくていい!」

一瞬なにを言っているのか意味がわからなかった。父は怖い顔をして睨んでいる。明らかに咎めている顔つきと口調だった。

母は大雑把な性格で、毎回流しを洗ったりしないのだった。

私のこの習慣は結婚してからのものだ。小さな2DKの新居だったが、自分の城だと思うと嬉しくて毎日家中ピカピカに磨いた。トイレも床も、窓のサッシも、風呂も、そして、シンクも。たった半年かそこらの間に身についた癖のようなものは、確かに実家で母の手伝いをしていたときにはやっていないことだった。それこそ、母への当てつけのようになってしまうので、自分の持ち場はあくまでも補助だと、そこまで手を出すことはしなかった。

久しぶりにやってきた娘が母親のいない台所で得意になってあちこち磨き上げている。父はそう思ったのだ。

誤解だと気がついたわたしは、いつになく強い口調で

「これ、いつもやってることだよ、べつにここに来たからってわけじゃないよ」

とまっすぐに見返した。

私が面と向かって歯向かうような態度をすることがめずらしかったからか、睨み返された父は、一瞬キョトンとし、決まり悪そうに笑った。

「そうか、そうか、それは失礼」

なにかをしにきたはずなのに、照れなのか鼻歌をうたいながらそのままな奥に引っ込んでいった。

あのときは、危うく勘違いされるところだったという安堵感と、父が一瞬見せた、母のため、たとえそれが娘だろうとナワバリを侵すのは許さんと向かってきた怖い顔に感じた寂しさとで動揺するだけだったが、あれから時が経てばたつほど、何度思い返してもおかしくなる。

母のことが大好きで、僕のお嫁さんを悪くいう人は許さないと、いつも言っていた父。祖母と母が意見が対立したときも、私たち娘が母親と喧嘩したときも、どちらの言い分も聞かず「僕はお母さんの味方」と宣言した。

そう言われてしまうとこっちはもう、かなわない。どんなに相手がおかしいと思っても、自分が間違っていないと思っても、この一言で母は「ほうら」と勝ち誇り私達はやるせない思いを消化不良のまま抱え、事態は終結となるのだった。

嫁いだ娘が無意識につい、実家のシンクを洗っていただけでも、それを「当てこすり」と思い込んでしまうほど、一生懸命妻を守ろうとした旦那さん。

僕の奥さんをいじめる奴はゆるさない。

そう牙を剥いてきた父のあのふくれっつらが、今はかわいくてならない。