お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

難題

とほほ。母がまた妙なことを言い出した。

一月四日に帝国ホテルにお金を出してあげるから泊まってらっしゃい。3人分、とったから。

って言われて、あぁありがとう。嬉しい。と喜んで見せるのがこの場合、丸く収まる。それを誰よりもわかっている。

これまでずっと、こうやって母が何か「いい思いつき」をしたとき、「うわぁ・・」とげんなりしてても、ちょっとした演技をして、心と裏腹な娘をやってきた。

その場しのぎにやってきた。

そしてそのたびに、彼女は「ね。やっぱりお母さんの言った通りだったでしょ。楽しかったでしょ」と得意になり、「あなたは楽しみ下手だから、ダメなのよ」と、自分が母親として娘を力づけたのだと自負するのだった。

このその場しのぎの小さなずれのツケが溜まってきての今だから、今更、この母を責めるわけにはいかない。

けれど、どうしてこのあいだのコンサートで学んでくれないんだ。

勝手に予約するな。

夫と離れて、どこにも遊びに行かず、祖母のところと庭の芝刈りばかり。

姉と母が遊びに出かけて行くときにいつも留守番している。

少しはあなたも楽しむ方がいいという。良かれと思ってなのだ。思い込みなのだが。

私には今、そんなエネルギーはない。第一、母親のお金で家族旅行をして楽しめるわけがない。夫にも申し訳ない。

「よっぽど婿さんに電話して、四日、休暇とってねって言ってからあなたに話そうかと思ったんだけど、お姉さんに相談したら、まずはあなたに言えって言うから」

母が前回のコンサートで学んだのは、先走って企画してはいけないということではなく、外堀を埋めてからでないとダメだということだったのか。

義母が婿に、新年早々の四日、休めというとは何事か。そうでなくても単身赴任、アウェイの身、人付き合いも上手じゃない人なんだ、やめてほしい。

もう私の生活をあれこれ工夫してくれるな。

お願いだ。そうっとしておいてほしい。

私が祖母のところに行くのも、庭の芝刈りを実家と自分と両方やるのも、自分がそうしたいからだ。それだけのこと。

母と姉はこの11月、二人でニューヨークに行く。夫は社員旅行で11月上旬に台湾に行く。母な先週も奄美に行って、12月には友達と横浜のホテルに止まって忘年会だそうだ。だからだと言う。

「あなたも楽しみなさい」

いいんです。あなたはあなたで堂々と楽しんでくれれば。むしろ、そのほうが私は伸び伸びとするのです。これまで苦労してきたんだ。老後くらい、堂々と遊べばいい。

私の楽しみ方は地味なのだ。地味に晴れた日に公園を歩いて、ドキドキしながらおしゃれな喫茶店に入ってみたり、前住んでいた神保町を歩いて本屋でのんびりしたり。

そして何より好きなのは夜、家のリビングで家族それぞれが好きなことをしているとき。

言い換えれば、やっとそこまで楽しめるようになったところなのだ。

なんせ、ほんの3年前、真剣に毎日、死にたいけど、死なないって呪文を唱えながら毎日をやり過ごしてからの今なのだ。

テレビを見て、息子と声を出して笑っている瞬間、あぁここまで戻ってこれたと幸せになる。

急かさないでほしい。

「キャンセルは三日前まで無料だから、よーく考えていいのよ。でも、行ったほうがいいわよ、行きない。たまにはこうやって差し出されったものを素直に受け取りなさい」

私は頑固なのだろうか。母を許していないからだろうか。

ただ、母のお金を使って、帝国ホテルに一泊することが、また私の心の自由を奪うのは確かなのだ。

どうやったらわかってくれるのだ。

どうやって伝えたら穏やかに収まるのか。

今朝、起きたとき真っ先に思ったのは

「夢じゃないんだ・・・」

こんな恵まれた話でブルーになっているくらい、私の人生はお気楽でよかったよかったと思えるほどには、成長した。

でも、難題だ。

ここはやはり、穏やかに収まらないであろうと腹をくくって、もう一波乱、やるしかないか。

時間はまだある。

のらりくらり、しばらく漂って、相手の熱が冷めるまで待とうか。

・・・胃が。痛い。