お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

勝手知ったる私

明け方、ぼんやり考えるでもなく、浮かんできたことに自分で驚いた。

もし、だれか自分が素敵だな、羨ましいなと思う人に入れ替われるとしたら誰がいいか。

ただ、条件として、今の自分の記憶、家族のこともこれまでの生きてきた歴史も全て、消えずに持っていくのだ。希望したその人として、外見も能力も人間関係も、財産も世間の評価もすっぽりもらえて入れ替わるが、今の暮らしの記憶も全て持っていく。

そう考えた時、どの人を想像しても、今の自分の方がいいやと思ったのだ。

これまで、苦しいとき、生きづらくてへこたれていたとき、何度か「あぁ毎日毎日、朝起きたとき、前日までの記憶全部消えていたらいいのに」と考えた。

人から言われたこと、以前の自分と比べて退化したと感じて惨めに思っていること、今の自分が辛いのは全部意識が今から離れているからだ。過去の記憶に引きづられ、未来に不安を膨らませる。

「今」じゃない妄想の世界に縛られている自分から、いっそ記憶という概念自体なくしてしまえば、どんなにか楽なことだろう。毎日毎日、あぁ、そういう設定なのかと思うだけで、特に不満も不安も感じず、そんなもんだと暮らすだろう。

それが、仮定の話とはいえ、この自分の記憶ごと持って移る、魅了的なキャラクターを誰がいいかなと想像してみると、誰であっても嫌なのだった。

図々しいことに、女優さんやタレントさんでもやってみたが嫌なのだ。

さあ、今からあなたは売れっ子の誰々さんです、あの美しいプロポーション、賢い頭脳も、そのままそっくり、差し上げましたとなったとして、今のこの私の住んでいる家も、友達も、夫も、息子も、母も、姉も、みんなその新しい私と関わりのないものになるのだ。

素敵な家に住み、美しくなり、皆から羨ましがられ尊敬されるような存在になった私は、手放したキャラクター丸ごと全てを取り戻したくて、きっと狂ってしまうだろう。

消したかった記憶を抱えたままの私ごと、手に入れたくなるのだ。

 

なんで明け方、そんな発想がいきなり浮かんだのか。

あれほど嫌で、劣等感の塊だった自分というキャラクターだというのに、こんなに愛着が湧いていた。へぇ・・。驚きの発見だ。

どんなに素敵な人でも、丸ごとその人にはなるのは。

羨ましいなぁ素敵だなぁと、うっとりしながら、家でオムレツ作ってるこの自分の方が気楽でいいや。