お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

ここらで潮時

あいかわらず調子がどうも、出てこない。

こいうとき、もともと身体が丈夫でないのはいい。「あぁきたな」と思ってやり過ごせばいい。

そう思えるようにやっとなれた。

少し前までは、世間のみんなが、働き、生産し、社会に貢献しているなか、自分は家族にすら「役立たず」の存在で、むしろ心配させていることが情けなく、なんとかしたく、チョコマカチョコマカとやってみては、案の定ぐったり疲れ、寝込む・・・の連鎖の中で生きていた。

常に自分を改善、向上させようとしていた。

もう、いいのではないか。

十分修行はした。私は変われない。

50歳になる今、もう、この辺で、自分なりのほどほどの暮らしにどっぷり浸かってもいいんじゃないだろうか。

疲れたよ。あたしゃ。

亡くなった年の夏だった。庭でまだ2歳だった息子を遊ばせているとき、それを一緒に眺めながら隣に座っていた父が私に言った。

「大きくなったな。あっという間だな」

父とはお互い照れ臭く、冗談を言い合うが、ドラマの親娘のように喧嘩したり相談したりしない。だからこれも私との沈黙の間を繋ぐだけの会話だと思い、相槌をうった。

「そうだねぇ。はやいねぇ」

すると、父は今度はぐっと私の眼を見て、念を押すように言った。

「本当だぞ。人生なんてあっという間だぞ。修行僧のように生きるな・・・・あっという間だ」

こんな風に語る父は初めてで、私はなぜか本能的に、あ、伝えようとしている、言い残しておこうとしているんだと感じた。が、建前として父の病気は治るものだということになっていたので

「そんなもんかねぇ」

と呑気な声で返事をした。

父はそれ以上、言わず、私もそれ以上追いかけなかった。

あのとき、32歳。父は63だった。その翌月、逝ってしまった。

17年たった今になってあの言葉が思い返される。

ガチガチの頭で、自分で作ったルールにガチガチに縛られていた息苦しさを、父は当時の私本人以上に感じていたのかもしれない。その姿はまるで自己を律することに美意識を持って生きた自分と重なり、よせよ、そんなことやっているうちに死んでしまうぞと教えたかったのかもしれない。

母は隠し通したから何も知らずに死んでいったと今でも言うが、父はとっくに自分のリミットを一人で聞いて、あえて家族のつく嘘に付き合っていたんじゃないだろうかと、今でも思う。

それから10年後、思いがけず、死にかけた。父の危惧した通りだった。せっかく助かったというのに、そこでこの言葉を思い出さず、とんだ失態をおかしてしまったと、なんとか何事もなかったことにしようと、馬鹿な私は更に自分に叱咤激励をし続けた。

やればやるほど期待に応えてくれない自分がとことん嫌になった。

 

あきらめる。

あきらめるとは、事実を明らかにすること。

私は変われない。

あれこれやってみたが、疲れた。もう、いい。これで。

もう、いいやこれで。が私のゴールだというのは我ながらマヌケでおかしくなる。

たぶん、周りはとっくにそんなことわかっていたのかもしれない。

わたしだけが、あくせく、もっとどうにかしたいと、向上したいともがいていたのかもしれない。

もう、いいんでないの?この辺で。

もがきっ切った。修行は終わりだ。

もっと素直に。もっと軽やかに。

ただただ、暖かい心を持って存在しよう。