お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

ありがとう

私はだたの人。

昨日、自分をちょっとその辺の人と違うように見せようとした自分に、自分自身で戸惑いおかしく、またちょっと残念に思った事を書きました。

コメントで複数の方が、「みんなただの人。僕も私もただの人。」という内容のことを書いてくれました。

私はいつも、ここに文章を書いて、学びます。

ヨタヨタと違う方向に行きそうな思想を、「おいおい」と軌道修正してくれます。

やっぱり私は自分という個性を正しく理解されたいという思いがあるのかなぁ。

ここで母や姉を引っ張り出してくるのは、ルール違反かもしれないけれど、子供の頃から自分の本心を言うと、否定されたり笑われたり、そんな考え方はおかしいと言われているうちに、心の奥底の自分を全開することは諦めてきました。

本音を言うと説教される。怒られる。小馬鹿にされる。

だから高校を卒業した頃から結婚するまでは、家族の中では、陽気で気の利くいい娘という役割を演じ、自分でも私はそういう人と思い込んできました。

そうすると、それまで私に手を焼いていた母が落ち着き、家の中も平和になり、私も世間での評判も家庭内での評価も良くなったから、それはある意味、私のキラキラした時代だったかもしれません。

私って、もしかしたら本当は「気立てのいいお嬢さん」だったのかもしれない。

自分でもそう思っていたほどです。

その鎧と、仮面を見破ったのが夫です。

なぜかこの人と接すると、普段穏やかでニコニコしているお嬢さんのはずの私が、彼のやることなすことイラっとして、我慢ならず、般若の面で怒り狂う。

「しまった!」と荒れ狂った後で思うのですが、その顔を見て

「顔、真っ赤にして怒ってる。可愛いなぁ」

と笑う夫の反応を見て、本能的に「この人を逃したら私は一生、仮面をかぶって生きていくことになる」と、迷うことなく結婚しました。

結婚してから始めの2年間、二人だけの生活は、それは楽しかった。

威張ったワガママも、喧嘩も、仲直りも、子供のようにできた。

父の病気が見つかって、二世帯住宅を用意され、夫に頼んで実家との生活が始まると、威勢の良かった私はあっという間に消え去りました。

今度は、辛抱強い良き妻、良き母、そして気配りのできる良い娘の三重仮面。息子が幼稚園に行き出すと、ここに良き保護者、ママ、が加わり、どれが演じているのか、どれが本音か、自分でも錯覚しはじめます。

認められたくて、批判されると悔しくて、根っこにあったのは「よくやってると言われたい」という願望。それをある意味、励みに、修行僧のように自分の考える善を貫きました。

魂の反乱。

息子の中学受験が終わり、もうじきゴールデンウィークという4月下旬、私はついに倒れました。死ぬ寸前でした。

もともと丈夫でない身体も、押し殺されてきた魂も我慢の限界で怒っているということを理解し、受け入れるまで随分時間がかかりました。

そこから、鬱になり、引きこもり、どうしていいかわからなくなり、恨み、自己嫌悪、長い長い葛藤が始まります。

知らず知らず、夫にまで本心を言わず凝り固まった心をほぐしていくのは辛く難しいことでした。

このブログを始めたのも、そのリハビリの一環だったようにも思います。

自分の封鎖する癖のある心を解放しよう。

誰にも聞いてもらえない言葉をここで言おう。

それだけの場所のつもりで開設した自分だけの部屋。

それが、ある時誰かが、読みましたよと星を残してくれた。

ある時、コメントで共感してくれた。

びっくりしました。

自分の中の一番隠していた部分を、馬鹿にしないでフラットな視線で受け入れてくれる人がこの世にいるんだ!

この辺から私の変化は始まります。

ゆっくりゆっくり、恐る恐る、自分を掘り下げ、表現し、自分でも受け入れる。

そこにはいつも、このブログがありました。

さらっと読んでくれる誰か。

時々、ポンと、つぶやき返してくれる誰か。

たくさんの魂が混じりあう宇宙の中に私も、居ることを認知された安心感。

凸凹凸凹、あっちにぶつかり、こっちで転び、ヨタヨタ迷いながら進んでいく私。

 

うまく表現しきれていないなぁ。

ただ、感じているのは、ただの人でいいんだよって言ってくれるこの場所に巡り会えて、

幸せ者だなぁ

ということ。

家族から独立している私。ただの人。

 

まだまだ武装している。

ゆっくりゆっくり鎧を脱いで軽く軽くなっていこう。

 

みんな、ありがとう。