お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

精一杯受け止める

昨日の夜、息子が私を見て

「大丈夫か、なんだかすごく疲れた顔をしている」

と言った。

髪をバッサリ切っても気がつかないのに、こういうのは鋭い。

「大丈夫、ねむいだけ」

「ひょっとして俺のせいか」

「なんでよ」

「ここんとこ、いろいろ言ったから」

そう。この数日、進路の悩みと不安と苛立ちを聞かされている。私は、基本、彼が好きな道を歩めばいいと思っているが、それがなんなのか、好きをどこまで仕事に優先させるか、そもそも食べていけるのか、青年は自分の人生だから真剣に悩んでいる。

それを根気よく、しかも呑気に、けれど無関心なのではないと、相手になるのはけっこう神経も体力も消耗する。

相槌を打ちながら私個人の意見を刷り込まないようにするというのは意外と言葉も表情も声のトーンも、間合いも気をつけないとならない。最終的には誰がなんと言おうと自分の選んだ道しか進まない頑固者のくせに、やはり親の反応や発言をどこか気にする。そしてときどき、自分の本心を見失う。

疲れていたのはこれもあったか。息子に言われて「なるほど」と思った。

夫が家にいるときにはほとんど彼が受け止めていた部分も、今は私が。どこかで私自身、気負っていたのかもしれない。

「俺が八つ当たりしたりしたからか」

あぁ。あれも結構こたえたぜ。

「へ、バカにすんじゃねぇ。わたしを見くびるな。おまえごときの発言や態度が心身に影響するほどヤワじゃないわい。なめんな、母を」

息子がなぜかゲラゲラ笑って喜んだ。

「馬鹿にすんじゃねぇって・・・なんだ、それ」

そうだよ。どんどんぶつかってこい。

屁でもねえよ。

いろんな物、人、経験に体当たりすればいい。

ぶつかってぶつかって、そうやって答えがでるってこと、あるからね。