お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

美味しい午後4時のパン

朝からなにかおかしい。

頭が重く食事が美味しくない。テレビもラジオも消して息子を送り出してからもう一度ベッドに潜り込んだ。

なんとかしなくちゃと奮い立たせるのはやめ、今日は過ごそう。

息子の急な外食でカレーも生姜焼きもカボチャもそのまま残っている。なんの心配もいらない。外は雨。洗濯だって乾燥機に任せてしまえ。

昨日までは難なく普通に過ごせていたはずなのに、無理にエンジンをかけないと決めると、びっくりするくらい、体は動けなくなってしまった。

立てない。歩けない。

もしかして疲れていたのかなぁ。こんなことやってると、ある日突然またばたっとやってしまうなぁ。いかんなぁ。

心と体とのバランスのとりかたを上手くなるには、素直になること。

動きたくないなら動かない。横になりたかったらそうする。

たとえそれが、非生産的な過ごし方で納得できなくても、それは頭の言い分であって、私の体は人よりだらっとしたがるんだから諦めろ、認めろ、降参しろ。

「頭より、身体からのメッセージを優先させること」

先生に言われた。そのときは本当にそうだと改心したつもりでいたが、日々がすぎると、つい「何かしないと」と自分を急き立てる。

誰に見栄を張っているんだ、私は。

自分に。私の中にいるもう一人の私はなぜこんなに「自分という証」を求めるのだろう。

実のところ、ただのお母さん、ただの妻だけでいいのだと自分に言い聞かせながら、このもう一人の私は「それじゃ、嫌だ。それじゃ私が消えてしまう」と叫んでいる。

祖母のところに行き、祖母の笑顔をみると、人はただ生きていればそれだけで尊いのだと思うのも本心なのに、これはどういう矛盾なのだろう。

本を読み、目を閉じる。眠る。また読む。眠る。積読していた本を並行して読む。いろんな作家の思考が私の脳みその中に入ってくると一人でいるのに孤独ではない。

外は雨。

本と居眠りに飽きて、一階に行き、パンをかじる。

ああよかった。美味しい。ちゃんと美味しいと感じている。

夕方4時のお昼ご飯はパンとハムとブラックコーヒー。全部が美味しい。

 

こんな一日をきっと求めていたんだ。

恐れない。自分の本当の声をキャッチして言う事を聞くことの優先順位をもっと高くしよう。走り続けない事を怖がらないこと。

有意義だとか、納得いくとか、そんな嘘っぽく自分を着飾る欲求はもう少し引っ込めて。

全て恐れず、流れに任せる。