お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

課題に取り組む

母のことについて考えた、その派生。

どんな理不尽だと思う評価や発言を受けても、私は、それには関係なく、この人を愛すると決めたのだから楽になった。というもの。

息子が私に何と言おうと、どんな我儘勝手を言ってこようと、結局、すべて許せてしまうのと同じラインになってきた、といった意味合いのものを書いたつもりだったが、あれを書いた後も、なんか違和感があった。

違った。私はそんなに仏ではない。

自分がどんな状態だろうとどんな精神でいようと、いかなるときも私は私を愛するのだと決める。

そう決める。

私にとって目指すところがそこに変わってきたので、母も含め、人がどう思うということが、後回しになってきた気がする。だから前ほど、母の言葉や仕草に私のアンテナが反応しない。

自分が自分の味方でいればいい。このことは以前にも似たようなことを思ったのに、生活の中で、知らず知らず薄れて消えた。せっかく気がついたのに。

48年、かけて頭に沁み込んだ考えを、急にパッと新しい考え方に切り替えられるほど私は器用ではなかった。練習がいる。練習しないと。

紙に書いておこうか。息子に見られると恥ずかしいから、パソコンの中にメモを貼っておこうか。

「私は、健康な時も病める時も富めるときも貧しいときも、いいときも悪いときも、死ぬまで変わらず自分自身を敬い、助け、慰め、変わらずブレず、全面的に丸ごと愛すると決めた。」

かけ算の九九を覚えるように、英単語を覚えるように、ピアノを練習するように、何度も何度も何ども繰り返し、自分に言って教えてあげよう。

忘れたの。ほら。もう、なんにも怖くないはずだよ。

これさえ、マスターすれば、きっともう一つ、開けるよ。

 

さぁ。今日も100パーセント自分をジャッジしない、を目指して、のんきにいこう。