おにぎり
少し前にも書いたが、私は息子の小学生時代、細々とした母親ではなかった。
サッカーの役員もPTAもやった。息子の友達を家に呼んでクリスマス会をしたりもした。けれど、心を育てる、ということは、どこか雑だったように思う。
身体がしんどくて、とにかく面倒なことは省きたかった。
料理も買い物も、手伝わせたり一緒にやってみたりしなかった。
やらなくてはならない任務は必死にこなしたが、できればやったほうがいいことは、気がつかないふりをして、しなかった。
彼の心に寄り添っていただろうか。一歩引いていた。申し訳ないと今でも思う。
さて。
ジメジメ悔やみ話をしたいのではありません。
嬉しかったことです。
「俺、バイト決まるまでおにぎり持ってく」
相当お金がないらしい。息子はついに学食の食券すら、高くて毎日は無理だと言い出した。400円。定食も、唐揚げ丼もだいたい、400円。それが月1万のお小遣いの身には辛い。
「食事は援助するよ」
「そうやって俺ばっかり金使うの、やなんだよ」
じゃ、おにぎり、作るねと言うと、自分で作るという。
「おにぎりってどれくらい、時間かかるの?」
「私なら、5分もあれば作れるけど・・・」
「30分もかかんないよな」
そう。作ったことがないのです。子供の頃、こうやって芽生えた彼の自主性を私は、ことごとく、無視して、自分でやってしまった。付き合うだけの気力も体力もなかった。
6時朝食なので5時半に起きて作るという。思うようにできなかったら、そのときのことだ、いざとなったら400円渡すか私が作るか。やると言ってるんだから、今こそ、やらせよう。
今朝、私のほうが緊張して、4時に目が覚める。遠足の朝みたい。起きて、すぐ、「あ、そうだ今日、おにぎり」と思ってすぐ、ベッドから出た。
息子は5時半ぴったりに起きてきた。彼も遠足の朝みたい。
台所にたち、炊飯器から、ごはん茶碗にラップをひいて、一回分のお米を入れさせる。そこにほぐした鮭を入れ、お椀からラップを持ち上げ、包むように握るというやり方を教えた。
「そっとでいいんだよ。そう。そう。上手上手。・・・はい、じゃ、海苔巻いて。・・・巻き方は好きでいいよ、自分で食べるんだから。あ、いいね、うまいうまい」
大学生男子相手にバカバカしい光景かもしれない。
けれど、私はやり残した大切なものを少しだけなぞることができた気がした。
ありがとう。誰にっていうんじゃないけど、ありがたいと思った。
大きなおにぎりが二つ、できた。鮭と肉そぼろ。
「だいたい10分だな」
これなら毎日やれそうだと、持って行った。