1月2日の朝私は自分たち夫婦に向き合う
夫は嬉しそうに出かけていった。
大学時代、ラグビー部だった彼は卒業してから毎年、仲間達と社会人と学生の決勝戦を神宮まで観に行く。若い頃は9人だったが、転勤や結婚など、それぞれの環境の変化に伴い、一人減り、二人減り、近年は4人がお決まりのメンバーとなった。
それぞれがこよなくラグビーを仲間を愛している。
男達は暮れになると連絡を取り合い、今年もいけるか確認し、夫がチケットを手配する。そして当日、それぞれがもう暗黙の了解となっているものを持ち寄る。
夫はおにぎりとビール担当。もう一人は紅茶とコンビニの唐揚げ。もう一人はスナック。もう一人は九州から来るので手ぶらでよし。
そういうわけで私は新婚当初から気がつけば毎年一月二日の朝はおにぎりを握っている。初めの頃はそれこそ、緊張して、肩に力が入り、ぎゅうっと握ったおにぎりだった。今思うと、冬の寒空の下、カチンカチンになった冷たいおにぎりを、誰も文句も言わずよく食べてくれたと思う。
ラガーマンは優しい。
入院して死の淵から帰還した年も握った。根性とか意地でとかではない。本当は9月に退院し、まだまだ心も体も使い物にならなかった。当然、今年はいいよといってもらえると思っていたら、当然のように「おにぎりだけでいいから」と言われた。
危篤までいって、戻ってきたというのにこの人は何も対応を変えてくれない。正直、もっと以前より労ってもらいたかった。
まだまだ自分を悲劇の主人公にしたがる癖のあった私は「こんなに辛いのに、やっぱり大事にされいない」と悲しくなったのも覚えている。恥ずかしい。
あるとき、このことがきっかけではないが、夫と本当にもうやっていけないと思った時期が長く、あった。寝室のベッドを、並べていたのを壁と壁にはなし、会話も減り、私は笑わなくなった。
そしてずっと殻に閉じこもっていた私は、ある年の暮れ、崩壊した。
プツンと何かが切れて、紅白も終わり、息子は夫と初詣にいく支度をしに二階に上がったとき、夫とふたり、リビングにいた。突然、涙が溢れ、言葉では説明できない言いようのないやり切れなさが喉元から声になって出てきた。
初めは小さな嗚咽だったのが、自分でも抑えきれない大きな声になって、激しく泣いた。肩を揺らし、背中を丸め、しまいには「えーんえーん」と子供のように。
夫は「どうしたどうした」とそばにいた。そして、私の背中を黙って撫でていた。ひとしきり泣き、落ち着気を取り戻し「もう、いいよ。大丈夫だよ」と私が言うまでただ、黙って撫でていた。
その夫の体温とさすられている感触が、何かを溶かした。そして何かを繋げた。
この人で大丈夫なんだ。私が弱っているからなんだ。うまくいかないのは。
この人はいつだって変わらない。私が嫌いになって捨ててしまおうと思っていた、私自身を、拾ってきてさすっている。ボロボロになって小汚いぬいぐるみをいつまでも大事にするようで、そんな彼がまた不憫に思えて泣けた。
あの辺で、地獄の底を蹴ったんだと思う。
底を蹴った私は、ゆっくりゆっくり地上に向かい始めた。諦め。受容。
その晩が開けた翌日の翌日。おかずが一品増えた。翌年、もう一品。その翌年あたりからデザート、カイロ、じわじわと私も楽しむようになっていった。
握りながら、恩返しのような、詫びるような。
心の中ではそんな思いが渦巻いているが、口では「まったくもう・・」と恩を着せる。そんな私に向かって夫は「ありがとう」と嬉しそうに言う。
無垢なのだ。彼は。
ずるいことも、せこいところもあるけれど、彼の魂の色は透き通っている。
今年は伊達巻、肉団子、煮豚、かまぼこ、おなます、黒豆、栗きんとんを少しずつアルミカップに入れ、100円ショップで買った使い捨てのお弁当箱に詰めた。それにおにぎり鮭と梅。小さなカップケーキ四つと柿の種。ホカロン。大きな紙袋に入れた。
「ほら、できましたよ」
「ありがとう、ありがとう」
ほっぺを光らせて、キンキンに冷やしたビールを冷蔵庫から取り出し、大荷物で出かけていった。
尻尾をブンブン振って出て行くのを見送るとホッとする。
今年も、できた・・・。
小さな小さな恩返し。
楽しんでおいで。
うんと発散して、背負ってるものどっかに置いといで。