お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

自分軸ふんばれ!

ちょっとひっかかりを感じつつの友人との食事は明後日だ。

ちょっとどころか、考えないようにしているだけでかなり、怖気付いている。

ようするに、あれだ。

私の方の問題なのだ。

彼女が指定した店はイタリアンのお洒落な店。担当医から昼は基本軽めにと言われいるのでいつも彼女とのランチには気を使う。食べるのが好きな人の目の前でサラダだけ、デザートだけ、前菜だけとは頼みづらい。

「本当に食べないよね」

食べないんじゃない。食べられないんだ。

詳しく言うと闘病物語になるから「へへへ、まったく」と受け流す。

それでいてガリガリの自分の身体が恥ずかしく、葛藤もあるんだとなぜか言えない。

「じゃ、食べればいいじゃん」

だから、ここには私が食べられそうなものはないんだってばさ。

親しいはずなのになぜか、そこまで言えない。

「だよね。そこがなかなかね」

へへへと笑う。あたしだってさ、食べたいさ、こういうの好きだから、でもさ仕方ないんだよ。

なぜ言えなかったんだ。

思うに、どっかで被害者であったのではなかろうか。

言えない私。我慢している私。相手に合わせて気を使っている私。疲労困憊している私。

消耗しているだけ弱者になった気分で、どっか可哀想な自分をやっていなかったか。

やられている自分っていう看板を掲げていなかったか。

私はこんなに遠慮して合わせているのにとは、勝手な言い分だ。

勝手に相手を加害者に仕上げていないか。

 

どうだ、私、そこんとこ、どうなんだよ。

迷惑かけないようにっていうのは大抵、自分が悪者にならないようにっていう魂胆だぜ。

 

彼女が発する言葉も雰囲気も、受け取る側の私がどう意味づけするかだけのこと。

ときどき、ムム、これって嫌味?と思うのも、感じなければなんでもない一言に過ぎない。

ただ、その場に行き、その中で、自分流にただ楽しんでくればいいんだ。

 

どう思われているかという発想自体なくそう。反応を伺わず、その空間を味わうのだ。

お店の雰囲気、サービス、久しぶりの丸の内。キラキラ心弾ませるものはあちこちにあるはず。

食事が思うように食べられるのが無ければ、正直にそのとき自分が食べたいものだけ選ぼう。そのことで不評を買ったら「ドクターストップがあるんだよ、ごめんね」と強く笑おう。

そういうふうにできているのだし、それが今の私なんだし。それをごまかさないで晒すのだ。

明後日は敢えて、相手の機嫌を損ねないように振る舞うのをやめる。

気まずい空気になったら「はい、想定内」とすればいい。そんなにそこに責任を感じることはない。

 

なんて、しのごのここに書いているあたり、結構ビビっているんだよう。

気分屋の彼女、怒ると怖いから。

でも、もう自分軸で生きるんだ。

それでもし、離れるものがあればそれでいい。

願わくば、それでも続くと信じたい。さらに付き合いやすいいい関係になってくれ。

残ったものの中で強く生きる。

頑張ってくれ、私の自分軸。