お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

秘密の暗号

息子のことをぼんやり考えていて、やっと自分なりの結論がでた。

アルバイト先では気軽に男女関係なく話せるのにどうして学校だとダメなのか。

バイト先の仲間とはディズニーランドに行ってみたり、仕事終わりにクレープを食べてきたり、一緒に休憩中、国民年金の支払いをどうしているかなど自分から聞いたりもするのに何故、学校では学食にいることすらも苦痛を感じるのか。

同じものに興味を持ち集まったもの同士なのに、なにが違うのだろう。

波動ではないだろうか。

おそらく発している周波数があわないのだろう。

不協和音を起こしている場にいることは苦痛だ。

あの、黒板を爪でキーッと引っ掻いた音。あれを聞くたびに私は文字通り、身の毛がよだつ。

みんなそうだと思っていたら、全然平気という人もいた。母がそうだ。彼女に「ほら、あの感じ、あのザワザワザワッて鳥肌が立つあの」と説明するが

そうかしら。嫌な音だけど、それほどでもないわと言う。

その彼女の身の毛のよだつ音は、包丁を砥石で研ぐ音らしい。あのシャーッシャーッという音を想像するだけで「おお、いやだ」と両手で両腕をぎゅうっと抱く。

しかし、私はあの音が大好きなのである。

いそいそと、自分で包丁を研ぎながらうっとりする。

持って生まれたセンサーってある。

その互換性のいいもの同士は自然とそう苦労せずにコミュニケーションができるのではないだろうか。

高周波なのか低周波なのか。いずれにしても一部のものしか拾えない周波域がある。

高周波の場合は、拾える音域は広いが、自分の調和できないものも拾ってしまい、そこだけに反応して順応しようとすれば、生き辛いだろう。

一方、低周波ゾーンの者達は放っておいて欲しいのに訳の分からない者たちが、面白がってちょっかいを出してくるので理由も対処の仕方も分からず戸惑う。

周波数をテンションと言えば伝わりやすいだろうか。

渋谷の街角でお酒を飲んで車を横倒しにして得意顔でテレビカメラの前に立つ若者と、地味ハロウィーンと称し、目立たないクスッと笑える仮装をし、遊んでいる若者たちと、どちらもカボチャのお祭りを楽しんでいるのに、違う生き物に見える。

どのゾーンが正しく、どのゾーンが質がいいなんて区別はない。

ただ、違う、それだけ。

若者ならこうとか。

男ならこう、女ならこれが幸せ。

この年齢ならこうあるべき。

夫婦とは。家族とは。

そんなもの、全てが嘘っぽく思える。

愛がそこにあるか、ないか。大事なのはそれだけ。

私は、もう二度と自分の魂を売り渡したり、期待に応えたり、いい人であろうとか、しない。そこにあるのは評価と共感を求めるいやらしさだけで、自分への愛がない。やっと気がついた。

あれは知らず知らず心と身体を蝕む。

自分のゾーンから自分そのまんまを発信してぶつかっていきたい。今この瞬間、ここからは、そう在りたい。

そんなことをぼんやり考えながら、この概念をどう息子に伝えようかとめぐらせる。

わたしの世界観が全てではない。

彼がこれから彼自身のものを築いていくのだから。

あっちに転がり、こっちにぶつかり、ときどき喜び、悲しみ、笑い、迷い、怒りながら、手探りで掴むものなんだと思う。

とりあえず

「なんか違うと感じたら、離れろ。愛のある方、ワクワクする方。それが目印」

と言ったが、なんだか宝島の秘密の暗号のようになってしまった。