慌てることはないんだと覚えておこう
昼間、台所をやりながらテレビをつけていた。
照英さんがスタジオにいて現場をレポートしている女性アナウンサーからの呼びかけに答えているが、いつもよりテンポがずれて、やりとりが噛み合わない。
機嫌が悪いのかと思った。
それとも何かこのレポーターたちが失礼なことを番組前にしでかし、その怒りが治らなくてわざと意地悪してタイミングをずらしているのか。
照英さんも穏やかそうだけど、こういう風なこともあるんだな。
いつもは気配りしずぎだと思うくらい感じがいいのに。
やっぱりあれは、ちょっと良い人っぽくしようとしてるのか。
これがこの人の素顔なのか。
ガスを止め、テレビの前に行って続きを観る。
あれ、誰だ、これ。
照英さんではなく名前は知らない俳優さんだった。
背格好は似ているが別人だった。
タイミングのズレとそっけない喋り方はこういう番組に不慣れなのだというのがその表情からすぐわかった。
照英さん、ごめん・・・。
もし、これが、私が勘違いしたまま、誰かに自分の見たことをもっともらしく
「あの人は良い人ぶっているけど、機嫌悪くなると、嫌味な意地悪するよ」
と誰かに言ったとして、それを聞いた相手がまたそれを誰かに言ったとしたら、だんだんそれが真実っぽく広まる。
もし、わたしが勘違いしたままツイッターでつぶやいたら。
そういう嘘の真実って簡単に真実として広まっていく。
誤解が解けなければ、その人の中では歪んだ真実が「絶対そう」になる。
だから誰かに「あの人があなたのことこう言ってたよ」と言われても、「あなたってこういうとこある」と非難されても、自分に覚えがなければいちいち慌てて治そうとか気をつけようとか意識することはないんだ。
知らない俳優さんのぎこちないやりとりを観ながら蒸したてのサツマイモを食べて考えた。
それにしても照英さん、ごめんなさい。