お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

先日テレビで観た林先生の解説。仕事を選ぶ基準。

できること、できないこと。自分ができそうだと思うのではなく、周囲から認められたり可能性があると言われる分野に自分の力を注ぐ。林先生はこっち。

やりたいことやりたくないこと基準。好きでないと続かない。スティーブン・ジョブズ派。

ずっと自分の天職はなんだろう、なんのために生まれてきたのだろうと探してきた。

流れで結婚し専業主婦になり、それと並行していつも、自分の本当の使命を見つけ打ち込む生活に憧れて模索してきた。自己肯定感も、自信も、自分の存在の意味も価値も、それさえ手に入れれば、揺らがなくなると思い、手に入れたかった。

それはつまり、主婦として妻としての自分はあくまでも仮の状態で、いずれ、いつの日か自分の本筋を見つけてみせるという構えだったとも言える。

 

隙間の時間が怖かった。なにかしないと、なにか意義のある時間を。

 

やれる事。

なんとなく毎月作って義父に送っていた息子新聞。これを夫も義父も大絶賛してくれたがそこに、価値を見出せなかった。自分じゃななくてはできない確かな何かとは、こんなんじゃない。もっとすごい何か。

本を見て作った料理が思いのほか好評であってもそう。

こういうのじゃない。こんなんじゃなくて、もっと社会に必要とされる何か。

そういう人。そういう仕事。そういう役割。

求めていた「なりたい何か」がなんだかわからない。

だけど、褒められるものは「これじゃない」と排除していた。

今、散々探し周って思う。

自信を持ってやれる事。それは夫の相棒である事。これだけ。

これだけはなぜか、何を望んでいて、求めているのか、どうしたら機嫌よくしているのか、勘でわかる。

相手を機嫌よくのびのびさせておくことは苦にならない。

 

やりたいこと、在りたい姿基準でずっと探していたが、それはただ、「誰が見てもカッコいいと思う何か」だったのかもしれない。

私の仕事というのは、この、さして無理なくできるたったひとつのことだったのかもしれない。

 

考えてみると、私の カッコつけを取っ払った本当にやりたいこと、好きなことはカッコよくない。

天気が良ければ布団を干して家中風を通したい。

外は北風、日差しのある暖かい日は窓のそばで本を読んでいたい。

刺激の少ないのんびりしたドラマ、映画。

やりたくないこと。手の込んだ料理。気を使う食事会。競争。

やりたいことは社会性のないことばかり。

やりたくないことは社会性を必要とことばかり。

 

妻であり働く女性でありという自分になれないかと、もがき続けた挙句に、ようやくでた結論。

おいおいおい。それってさぁ。あんまりじゃないの。

でも、そのためだった気がする。

そのために父と母を選んで生まれてきた。

そのためのスキルをインプットしてこの世にやって来た。

夫の妻としてこの世にただ、存在すること。それだけのために。

惚気じゃない。もっと達観した何か。

なんとなく、勘。