お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

ジイジの采配

なにか窮地を救われたとき、息子は「ジィジが守ってくれた」と言う。

ここで言う「ジイジ」とは私の死んだ父のことだ。本人が2歳半の時に亡くなったので記憶はないのだが、生前父は、見ているこちらが面食らうほど可愛がった。

あれほど厳しく、娘たちの前では理性的だった人が孫を膝に乗せながら食事をし、ハイハイが遅いと言えば、背広を着たまま床に這いつくばって手本を見せる。どこでも実の父はデレデレになると聞いてはいたが、うちの父に限ってそれはないと思っていた。姉も母も私もあんぐりするばかりなのだった。

流産しかけて、もう大丈夫と検診で言われて帰ってきた日、父にそう告げるとメガネをはずし、涙をぬぐいながら「よかったよかった」と泣いた。これまでこんな風にまっすぐな愛情表現をする人ではなかったのでびっくりした。照れ屋で頑固者の父が泣いて喜ぶなんて驚きでしかなかった。

そんなエピソードを事あるごとに聞かされているうちに、息子は自分は今でも見守られていると思うようになったようだ。中学、大学と受験票は当日まで仏壇の前に起き「よろしくお願いします」と拝み、昨年も学科試験に合格すると「お礼を言ってくる」と真っ先に仏壇に手を合わせに行った。

昨日の朝、時間がないと慌てて出て行くので「たっぷり余裕のある時間に起こしたんだけどなぁ」と言ってやった。ベッドでiPhoneを見たり、呑気にテレビを観ながら食事をしていたからじゃないかという皮肉にすかさず息子は

「だから起こさなくていいって言ってるじゃん!」

とムキになる。

「いいの?」

「いいよ、目覚ましちゃんとかけてるし」

喧嘩腰にではでなく、拍子抜けした。なんだそうなんだ。もう自分で責任とるから放っておいてくれていいという年齢か。言われてみればそりゃそうだ。

「そっか。じゃぁ明日からやめるね」

「どうぞどうぞ」

鼻息荒く出て行った。

そして今朝。バイトで5時には家を出るはずの息子が5時36分に目覚めたとき、まだベッドにいる。

やっちまったな。

「5時半だよ、バイトでしょ」

声をかけるなと言われてもこれはさすがに。

「・・・え・・・あ!やばい・・」

服を着たまま寝ていたようでシャツにジーパンのまま呆然としている。

「しょうがないから、そのままの格好ですぐ出たら?」

結局歯を磨き顔だけ洗って飛び出して行った。一本遅い電車になるがぎりぎり間に合うと「ありがとう」と照れ笑いして走って行った。

風呂は朝入ればいい。なんだかんだ言って俺は遅刻したことはない。常日頃豪語していたが今朝はさすがにシャワーを浴びる時間もなく「どうしよ。俺、臭い?臭い?」私に洗っていない頭を突き出す。

うっとする汗と皮脂の混じった青年臭に息をとめ、鼻だけ近づけ「大丈夫臭くない」と言ってやったが「臭い臭うよ、どうしよ、どうしよ」とうろたえていた。

ギリギリ遅刻もしないが、風呂も入れず頭も臭く、朝食も食べずに飛び出すスレスレのところで偶然目が覚め息子を起こした。計画しても測れない絶妙な時刻だった。

本来、慎重派で失敗を嫌う息子にはちょうどいい匙加減の薬になったことだろう。

お父さんかな。

今朝は密かに私が父の采配に手を合わせる。