お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

お転婆ばあちゃん

祖母の葬儀からだいぶ落ち着いた。もっとさらりと受け止めると思っていたが、そうでもなかった。喜怒哀楽を無くした自分に、柔らかなものが芽吹いているのを見つけ、嬉しい。悲しみながら、ほどけつつある心に安心する。

102歳の老衰だったから、ある意味めでたい。誰もが悔いがなかった。家族のために働き、看病し、助け闘い、長患いもせず最期の日まで意識があった。別れかたまで家族に優しい。

精進落としの席は、悲しみと緊張と疲労と、ある意味での達成感とで、正月の集まりのように、みんなよく食べよく飲みよく笑う。

おかしかったのは、祖母と同居していた従兄弟達から聞いた話だ。

男二人、小学生だった頃、二階の子供部屋で飛んだり跳ねたりして騒いでいると、真下の部屋の祖母が天井をドンドンとなにかで突いてくる。

「うるせぇババアって、ドンっと蹴り返すと、また、ドンってやるんだよな。そんで頭きてドンドンドンってやると、ドンドンドンドンってさ、負けてねぇの」

母は決まり悪そうに「ごめんなさいねぇ」なんてその場で謝り、帰りの電車で「なにも本人のお葬式であんな事言わなくたっていいのに」と憤慨していたが、私はこの日聞いたエピソードの中でこの話が一番気に入った。

祖母の住まいを改装し、叔父達が越してきて同居が始まったとき、食事も別、リビングも来てくれるなと、玄関脇の部屋にキッチン、冷蔵庫、電話が取り付けられた。

「みんなとご飯が食べられる、さあ嬉しいって喜んでたら、断られちゃった。はじめは悲しくて毎晩泣いたわ」

おかしそうに笑って話してくれたが、それがずっと残っていた。不憫でならなかった。それが、じっと息を殺し遠慮して、大人しく暮らしてたわけでなかったのだ。

孫達にクソババアと言われながら愉快に天井を突く祖母。

たまらない。

ちゃんと家族だったんだ。

そうでなきゃ、そんなやり合いできない。

その証拠に、従兄弟は棺桶の前でゴシゴシ涙を拭いていた。持っているハンカチにアヒルとKのイニシャルのステッチが刺してある。

「これ、小学低学年のとき、ばあちゃんが作ってくれたんだ」

愛し愛されていたんだな。

ちょっと灼けた。