まずは一品確実に
息子は昨夜、「箱裏忠実カレー」をおかわりした。
「これだよこれ!」
狂喜乱舞するのを見て、恥じ入る母。つまり、わたしのいい加減なカレーは確実にこれより口にあっていなかったということだ。
はじめてジャガイモ何グラム、肉、何グラムのところからカレーを作った。思えば最初、母に教えてもらったとき、「だいたいでいいのよ」というのが多かった。
だいたいこれくらい。だいたいこんな感じになったら。
それをもとに結婚し、さらにそこに自己流を取り入れたのだから本筋からずれまくっていたということはありえる。気をつけよう。
そもそも、この「だいたいレシピ」は先日亡くなった祖母から受け継がれている。
母はカボチャの煮物を彼女からこう習った。
「お鍋にカボチャを並べてチャーッとお醤油かけて、ざくざくっとお砂糖かけて、ちょっと置いておいて、すこしだけ呼び水いれたら火が通るまで煮るだけよ」
これを私にそのまま伝える。まるで伝言ゲームだ。
カボチャ何グラムかだなんて概念はここには存在しない。味付けも、火をつける前にちょっと嘗めてみて、ちょっと濃いめかなと思うくらいがちょうどいいのよ。カボチャからも水分がでるから。ホックリ仕上がるように水は少なめにね。
母自身も高校生のとき、突然父親に死なれ、働きに出た祖母に変わって家事全般を引き受けたものだから、とくに料理教室も行かず、手探りで家庭料理を模索した。
祖母が伝言でなく直接私に教えてくれたレシピともいえない一品がある。白菜とベーコンのスープ。
「ザクザクに切った白菜とベーコンを入れて水で煮るだけよ。あとは塩で具合を見て」
「コンソメとかいれないの?」
「?コンソメ?そんなものいれないわよ。水とベーコンと塩だけよ」
ほんとかなぁと思いながらも試しにその日の晩、言われたとおりに作ってみた。おいしかった。
野菜の甘さがしみじみとして。うすく香るベーコンの塩っけと脂。
半分の白菜がぺろりとなくなった。
祖母は料理がじょうずだった。おおらかで、手の込んでいないものばかりだったが、確実においしいものを出してくれた。
母の料理は努力型だった。私の父があれを食いたい、これを作れ、これはおいしくないと言うので、千本ノックを受けるようにがむしゃら食らい付いていくうちに腕があがっていったのだろう。
そして、伝言ゲームでなんとなく作れる気分になったまま結婚した私は、夫が文句を言わないのをいいことに、努力すらしない、感覚料理を作っては出す主婦になった。
しかしそのヌクヌクと甘やかされていた時代も変化のときに入っている。学食やアルバイトでの外食が増えた息子は、近頃、味覚の幅が広がっている。それと同時に彼のジャッジは時として厳しい。あんまりのときは、はっきりと食べなくていいかと聞いてくる。そういわずに食べてよと頼めば「無理だ」という。
まずは品数たくさん作って並べるよりも、確実に美味しいもの一品、つくることからはじめよう。
今更ながら、息子に鍛えられる母なのである。