電柱の下にピンクの花が咲いていた
体調がすぐれないので、散歩のコースを大幅に端折った。
はじめは、頑張ればいつも通り歩けそうだと、自分を励まし歩いていた。本能に背いたその行動が突然不自然に感じ、まっすぐ続く遊歩道を右に曲がったのだった。
まだやってる。頑張って歯を食いしばっていることになんの意味があるんだ。
自分の生き方に自信がなかった。
「なんにも考えないでただ、面白おかしくやってるから苦労が足りないのよ。だから稚拙なのよ」
言われたときはヘラヘラ笑って、それでいて、けっこうそれがコンプレックスとなり、だからって勉強したり教養のある本を読んだりと努力はしなかった。そのくせ、根っこのほうで、ジクジクと引きずる。
結婚して一家の主婦となって、さぁやってやるぞと、どこかで思っていた。
見てろよ。私だって。
わたしだって、苦労してるのよ。
持って生まれた持病の深刻さ。夫のマイペースにふりまわされる毎日。お金のやりくり。ママ友達との付き合い。息子の教育。義父からの圧力。
口に出して言わないだけで、これでも結構大変なんだから。
なんかの弾みで、そう匂わせたことがある。
「何言ってんの、そんなの苦労とも言わないわよ」と鼻で笑われ、もう、二度と言うもんかとそれからは、心を固く閉じた。
今にして思えば実際、そんなの誰でも持っている程度の煩わしいあれこれで、とりたてて言うほどのことでもないのだった。けれど、わからせたい。あなたも大変ねぇと言わせたい。未熟だった。承認が欲しかった。
そして、非の打ち所のない昭和の良妻賢母を目指し、己れを鍛える。
良妻賢母は今も憧れる。でも、ほどほどでよかったのだ。昭和の母だって疲れたら昼寝もしたろう。ときにはこっそり、自分だけ美味しいオヤツを食べたかもしれない。井戸端会議で夫の愚痴を言いあって、笑い飛ばし、さあご飯作るかと、うまくバランスをとっていたのではないだろうか。
それすら自分に許さず、厳しい自主トレは続いた。
悲壮感。悲劇の主人公。
いつしか「耐えて耐えて耐えているわたし」というものに、自分の拠り所を置いていた。
階段を昇る力がなくなるほど弱ってきても、それでも家事をやる自分に「健気」と酔いしれていたのじゃないだろうか。実に恐ろしい。
頑張っていない自分をそのまま、それでよしとしなかったのは、何を隠そう私自身だったのだ。
いつもの道のりをバイパスをしたら散歩が散歩になった。いつものはトレーニング。今日のは散歩。
その証拠にいろんなものに目が行き、そのたびに立ち止まり、しゃがみこみ、楽しい。
あぁ、ここ、建て替えたんだ。あ、ハロウィーンの飾り。ママの後ろの荷台の男の子と目があった。どこかでドーナツかな。いい匂い。
幸せ感が込み上げる。
歯を食いしばって「私、生きてるっ」って酔いしれるより、こうやって幸せだなぁってしみじみすることで生きている実感を確かめる。
なんでこっちを選ぶことに罪悪感を持っていたのだろう。これを削ってまで、修業の日々に没頭していたんだろう。
ズルだと禁じていた。そういうことはもっともっと頑張った人に許されることだと戒めていた。
放っておいても辛いことは生きていたらやってくる。
そのとき、底力を使えばいい。
使わなくて済めばそれは幸運。恥じることも申し訳なく思うこともない。
それでやっていけたら、それこそ、幸せ者じゃないか。
自分に緩くなると柔らかくなった心は優しい気持ちが湧いてくる。
ほら。力を抜いたら電柱の足元に咲いてる花にも気がつく。
いつも歩いていたのに。こんなとこ、花なんかあったっけ。
こんなとこで咲いているくせに
やたらと嬉しそうに見える。