お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

タブーに挑戦

昨日のカフェからの発想で、例のコンビニのおばさんのタブーに挑戦してみた。

あれから店には行っていない。時間をずらして、店の前を通ると、ガラス越しにパンを食べている彼女が見え、通過したっきり行っていない。

グイグイ自分の話をして、私のことも知ろうとする。その圧の強さが、朝、寝起きでフラフラと散歩に出て、まったりコーヒーを飲みながら一休みをしている私には苦痛で、店から遠のいたのだった。

あれから私は自分の散歩コースの変更をあれこれ試しているが、このコンビニを休憩地点として、戻るコースは実に体力と、道すがらの景色の好み具合が自分にピタッとあっていて、なかなかこれに変わるいいのが見つけられない。

いつものように歩いて、気がつくとこの店のそばにいる。あぁそうだ。あのおばさん、いるかな・・いたらやだな・・。これが次第に鬱陶しくなってきた。散歩が楽しくない。

散歩コースにタブーがあるのが嫌だった。

 

そもそも。善人として振舞おうとするから行動にもタブーが出るのだ。

昨日のカフェ。こんなさえない主婦がコーヒー一杯で入って、不似合いな客が来たと扱われて惨めな気持ちになるに違いない。・・・ならなかった。むしろ私のことなど、誰も気にもとめていなかった。

その応用。

話しかけられたら、よく知らない人なのだから相手を傷つけるような対応するわけにはいかない。だから、少々、面倒でも我慢して話し相手にならないと悪い。自分のことを聞かれて言いたくないのは、本当の趣味や時間の使い方、子供の学校、出身校を聞かれたりした時に軽蔑されたりするんじゃないかという自信のなさから。

・・・そうなのだろうか。。

黒い自分の感情だと思っているものを気がつかれまいと振舞おうとしているけれど、隠さないと、どうなるんだろう。

よくよく考えると、私はどうしてこの知りもしないよそのおばさんにまで、「なかなかの人物」と思われたいのか。思われたところで、どうなるのか。

全く、関係ない。全く、意味がないことだ。

それなら、嫌われる、バカにされる前提で自分丸出しにしてみようではないの。

知らないことは知らないと言おう。興味ない話は興味がないと言おう。話が長かったらちょっと一人の時間になりたいのでとその場を去らずに、話を打ち切ろう。

 

それをやってみようと、店に行ったのだ。