お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

魂がホッとしている

昨日、「このまんま、取り柄も特技も体力もなくて、へんてこりんな自分を、それでよしとして、しばらく過ごします。自分をコントロールしないで流れにのって、どうなって自分がどう変化していくのか、しないのか、様子を見ることにします。」というようなことを、文末の方でちょろっと宣言した。

あれは、文章を書いていて、ふと思いついたことだった。

それが、今の私を、今日の私をすごく安心させてくれている。

こんな風になるとは正直思っていなかった。

実はこのところずっと体調がすぐれない。

入院した方がいいのかなぁと思いつつも、息子一人にして病院に入っても落ち着けないしなぁと、それなりに生活を続けている。

寝込んでもいないし、どこかが痛いわけでもないけれど、先月までできていたことが、しんどくてできなくなっている。その漠然とした不安と、ダメな自分を思い知る軽く慢性化した落ち込み。

幸い、それでも生活はやってくるのでレシーブを返すように日常の外せない家事や雑事をこなしていることで、決定的な自己嫌悪には陥らずに夜がくれば力尽きて眠り、また朝が来る

 

昨晩も電池切れで10時前にベッドに体を投げ込んだ。それでもたいてい2時、4時、6時と途切れ途切れに目を覚ます。昨日もそうだった。

トイレに行く。

妙な場所でだが、そのとき、思い出したのだった。

あぁ。そうだ。私はもう、へんてこりんで体力なくて、特技も取り柄もないけれど、それが私と宣言したんだった。

もう、このまんまでいいんだ。

だって、これこそが、私なんだから。

この安心感をなんと表現したらいいんだろう。

これまで、人と比べるのはやめよう、とか、自分を好きになろう、とか、今だけを感じて暮らそうとか、自分にしかない何かを探そうだとか、いろんな角度から自分を励ましてきた。

でも、もういいんだ。励ましたり、頑張らせたり、こうなろうとか、こうなりたいとか、そのために何ができるかとか、そんなことから解放されたんだ。

だって、このダメさ加減こそが私なんだもの。

それでいいってことになったんだもの。

この先、どうなってもいい、それを見ていくだけってことにしたんだから。

 

夜中のトイレで、感じた安堵感。

自分を愛するとか、そういうのじゃなくて、何かから、逃げ切ったという感じ。

 

今日も一日調子は悪い。

息子が出かけてから午前中はずっと床に転がっていた。

洗濯物は乾燥機にかけた。

寝て、ラジをを聞き、本を読み、目を閉じる。何か食べて、また横になる。

でも、そこに罪悪感も劣等感もついてこなかった。

宣言翌日ハイかもしれない。けれど、大きな安心感の中で一日中家の中で過ごす。

なあんにもしないで日が暮れていく。外からは家族が自転車で通ったり、子供が遊んだり、挨拶したり、1日を活動している人達の動きが聞こえる。

 

本当はずっとこうしたかったのかもしれないなぁ。