絶体絶命回避
夫が連休明けに会社に持って行く手土産を買いに、デパートに行った。
やはり皆、帰省土産を買いにきているのか、地下の菓子売り場は混み合っている。
鳩サブレーを買い、母に頼まれた買い物をすませ、さあ帰ろう。その前にトイレに寄ろう。
行って見ると、トイレも長蛇の列だった。どうしようかと迷ったが、ここは行っておかないと、バスの中で苦しむぞと思い、並ぶ。
ジリジリゆっくり進む列。やっと先頭に立つころには、やや切羽詰まっていた。
二人、同時に扉が開いた。
奥から一人、一番手前から一人。トイレと人柄は関係ないのに、手前から出てきた女性が身ぎれいで、私に軽く会釈をして行った感じの良さから、そこに入ろうかと思うが、奥に進む。なんとなく、そのほうが列の流れとしてスムーズで親切かなと思ったのだ。
奥から出てきたおばさんは、私をチラッと見て、すぐ目をそらし、早足で過ぎて行った。
個室に入りかけて、う、と一瞬立ち止まる。
流れていない!
やはり手間に入ればよかった。使用せず、出ようか。
しかし、私が出て戻ったところで、次の人に丸投げするだけだ。ここで負の連鎖を止めねばと妙な正義感が湧き上がる。
あちこちレバーやボタンを探すが、自動洗浄の便座なので手動ボタンが見つからない。おそらくあのご婦人も、それでやむなく、このまま出てきてしまったのだろう。
落ち着け、落ち着け。どこかにあるはずだ。
落ち着きたいが、なにしろ切羽詰まってきている。
このままここで使用するのは嫌だ。それに万が一そうしたとして、本当に手動洗浄ボタンが見つからなかったら、それこそこの個室を出て行くことが辛い。
落ち着け。落ち着くんだ。きっとある。下の方とかもっとよく見るんだ。
・・・あった!
本当に隅っこの下から30センチのところに目立たなくそっと「手動洗浄」と書かれた銀色のボタンを見つけた。
無事、綺麗にする。
よかった・・・・・。
このとき、私はおかしなことを考えていた。
今この数分、いや数十秒だったかもしれないが、とにかくこの瞬間、私の頭はこのトイレ問題だけを必死に考え、それが一番の重大問題だった。そして最悪の事態を回避した今、心の底から安堵している。
自分が虚弱で長生きできるだろうかとも、息子の将来も、夫の健康も、母のことも姉のことも全てどっかに消え去り、頭の中はトイレ問題だけ。
差し迫った危機の前にはいつも慢性的に抱えている不安なんて、簡単に姿を消す。
所詮、その程度のことなんだ。
深刻になってみたところで、自分の尊厳を掛けたトイレ問題が降りかかってくれば、あっという間にぶっ飛んでいってしまう。
なんとなく大丈夫かなぁ。どうなるのかなぁ。ああなったら嫌だなぁ、なんて思い巡らすのはまるっきり意味もない単なる思考の暇つぶし。
心配ごとは心配しなかったら、心配事じゃなくなるのだな。
あぁよかったぁと思いながら揺れる帰りのバス。
帰ったらあれやってこれやって、などと忙しく考えることなく、ひたすらホッとしながら目を閉じるのだった。