お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

冒険

普段、滅多な事で自分からどこかに出かけることのない私だが、昨日、日比谷図書館の大人カレッジというものに参加してきた。

新婚当初から番組枠が変わるたびに追いかけて聴いているラジオ局のアナウンサーがいる。その人の声はいつも変わらずそこにいた。友達のようであり、無責任な赤の他人でもあり、心を許せる親戚のおじさんのようでもあるし、兄貴のようでもあり、ときにはキュンとするに仕事のできる男で、ときには可愛くなるほどの中2の心の少年。テレビと違ってラジオは、心の中まで共有する瞬間がある。個人的なことを聴く方も発信する方も内輪話のように言い合い、笑ったり励ましあったりすることもあるからだろうか。

このアナウンサーは辛いときに並走してくれる存在だった。番組に投書することは無いが、その声を聞くと日常のベースに戻れた。いつもと同じようにラジオをつける。いつもの兄貴がいつもようにそこにいる。このことがどれほど私を落ち着かせたことだろう。

この人が照れ臭そうに言った。「今度、講演会なんてものをやりませんかということになりまして。私ごときが。」還暦という区切りもあり、ラジオ屋としてのこれまでとこれからについて話しませんかと依頼されたと言う。会いたい、と思った。その場で図書館のホームページから申し込んだ。

その行動の早さに自分でも戸惑ったが、行きたいという気持ちはブレなかった。

息子に日付けと、外出するからその日は夕方遅くなると言った。

「珍しいじゃん。頑張れ」

本当に頑張った。頑張って行ってきた。

講演に参加しにきた人はみんな番組つながりの仲間。どの人も初めて会う親戚のようで妙な安心感に包まれる。共有ってこういうことなのか。

映画でも最後までもたない集中力が二時間、心地良く座ってる。自分自身でありながら楽しみ、その輪の中にいた。

自分自身で楽しめた。そのことに泣きそうになる。

参加者全員にカードにメッセージを書くよう呼び掛けた机があった。ここでも参加してみた。感謝の気持ちを書いた。

最後、壇上で希望する人とは一緒に写真と握手ができるというので行列ができた。

これはいいや。これ以上近くに寄ると、この人が生々しくなってしまう。そして、この人にとっては自分はただのリスナーの一人ということがはっきりしてしまう。

会場を出て、 もう一度後ろのドアから覗く。一人一人と丁寧に握手をして肩を組んでカメラに向かっている彼がいた。

ありがとう。会えてよかったです。帰る電車の中で、ツイッターを送った。48歳主婦として。