お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

投げ出さないぞ

決して手が込んだものではないけれど

食べてくれた人が美味しいと

言ってくれる自慢の料理。

 

この味ができるまで

いろんなことを試してみた。

ときにはまずいことも…

 

でも失敗の積み重ねで

できた料理でもある。http://www.mashley1203.com/

 

ああそうなんだな、と学んだ。

この人のブログはある意味でぶっ飛んでいる。私はその突き抜けたぶっ飛び方が大好きだ。

家を愛し、椅子を愛し、家具を愛し、夫を家族を仲間を愛する人。好きなもの大事にしたいものに対してかける愛情の深さが突き抜けて深い。

多少の不具合をその人、その物のもつ個性と魅力だと言い切る。だからこそ愛おしいと言う。

理屈でわかっていても、本当にそれが生活に態度に一貫している人はそういないのではないだろうか。

そうは言っても・・となかなか頭と心がむすびつかない。

傷ができた家具も、手入れが大変な家具も、まるで飼っている仔猫の世話をしてやるように、いそいそとする。

私などは「いいけど、手間がかかるからねぇ」と手入れの難しいものをつい、恐れて遠ざけてしまう。

きっと彼女はどんなに辛いときでも、自分に接する人、物を掬い上げてきたのではないだろうか。そしてそれが、伝わってくればくるほど、その懐の深さを知り、私は学び、恥じ、安心する。

ダメだからこそ愛する。不具合を含めまるごと受容する。

そんな人々がこの世にいるんだ。

私が育ってきた狭い世界では、ダメなものはダメな奴とレッテルを貼られた。

失敗はそこで終わり。

そしていつしか私もその考えに飲み込まれていた。失敗作の私。改良の余地なし。

 

「この味ができるまでいろんなことを試してみた。ときにはまずいことも・・」

レモンバターライスのことを書いているのに、ここを読んで熱くなってしまったのは、たぶんそこ。

失敗作のまずいレモンバターライスができてしまったとき、「やっぱりダメだ、もうやめよう」じゃなく試行錯誤し、なんとか美味しくしようと作り続けた。

「失敗の積み重ねでできた料理でもある」。

わたしは、自分が失敗作だといじけていたとき、自分で自分を諦め斬り捨てていた。

もう、ダメだと放り投げた。だから死にたくなった。

 

ブログを書くようになって自分の黒い部分、コンプレックスを洗いざらい出してきた。

おっかなびっくり、変人だと思われるのを覚悟して、これまで読者でいたひとが離れることも覚悟して。

たぶん、限界まできていたんだろう。

闇の部分を書いた翌朝、恐る恐るブログを開くと同意だったり励ましだったりがコメントにあって心底驚いた。

みんな暖かかった。

この暖かさの中で私は自分のダメさ加減を受け入れることを学んでいった。

失敗を積み重ねて辿り着いた私の味。

 

今も人生失敗だらけ。うまくやれないときもある。やっぱり泣きたくなるときもある。

それもこれも、すべて途中のできごと。

極上の味のあるおばあちゃんに辿り着くまでの経過の途中。

 

今朝、夫に持たせようと大量のミートソースを作った。

食べられないほどではないけれど、大成功でもない間の抜けた味のができてしまった。

味を整えようとあれこれ入れたが、これ以上やると危険と思いやめた。

あぁ、せっかく美味しいのを持たせてやろうとおもったのに。

今晩、みんなに美味しい美味しいと言われて「たくさん作ったからおかわりあるよ」というつもりだったのに。

大きな鍋にたっぷりのぼやけたミートソースが急に厄介なものに思えて気が沈む。

そのとき、このレモンバターライスの記事を読んだのだった。

 

私もミートソースも、まずい日も上々の日もあっていい。

そのうちにいい味がでてくる。投げ出さないこと。