お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

潜る

息子がテスト準備期間に入り、アルバイトを休んでいる。

久しぶりに日曜の朝、寝坊した。9時に遅めの朝食を済ませると、カレーを作る。ミートソースの翌日にカレーもあんまりかとも思ったが、構うものか。評判の良い献立なら迷わずそれに決定しよう。こういうところで、あれやこれやと小さく気を回すのが実は一番疲れる。最近気がついたのだ。スーパーで買い物をするとき、本屋で本を選ぶとき、今日1日何をして過ごすかと予定を組むとき、どうしたいかよりも、どうするのが自分の為になるか、より良いかと考える。それが疲れる。

もっと直感的に。グイグイと自分を引っ張るように。

「あなたは何でも思いつきで行動するから、中身が薄い」

子供の頃からよくそう言われて、そうか、思いつきはいけないのかと、自分を規制してきたが、どうもそう、対して悲劇は起きないような気がする。

考えに考えると、いつまでたっても「これでよかったのか」と気になる。果たしてこれは正解だったのか。すると誰かに「正解正解、大丈夫。私だってそういう時はそうしてる」と同意されたくなる。いつも誰かの同意を求めてしまう。

何だかわかんないけど、満足。

思いついたまま、あてもなく、秩序もなく、統一性もないその日、その時の衝動に流されて終えた日は、馬鹿らしく時間が過ぎただけで、身になるものは何もないことが多い。

だが、そんな日は私は自分に会いに行っている。

深い深い海の底にいる、私自身に会いに行くと、そこにいる私が意外なことを言う。

それは散歩のときだったり。ヘッドホンをしてジャズを聞いているときだったり。掃除機をかけているときだったり。ぼけっと窓の外を眺めているときだったり。

知らないうちにそんなことに興味を持つようになっていたの。

ちょっと前まで、あんなにムキになっていたのに、随分とゆるくなってきたのね。

「最近の私」と「子供の頃の私」とそれをもう一つ高いところから眺めている私が同時に存在している海の底。

地上で暮らす私は、そこで好き勝手に泳ぐ。ゆっくりゆっくり泳いでまた戻る。

みんなこうして生きているのだろう。