お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

私という人を私は掴めない

明日アマゾンから掃除機と一緒に本が一冊届くので今日のうちに読みかけの本を読んでしまおうと思っていたのに、二章ほど読んだら睡魔に勝てず眠ってしまった。

あの、本を読んでいるところからの、観念して目を閉じるとき、全ての幸せが集まってくる感じが好き。

許しちゃおう。眠りに落ちてしまおう。

午後の二階の部屋は、今日は立冬だというのに、窓を開けていても気持ちいい。ちょっと和らいだ陽射しと、下校途中の隣の坊やの声。バイクの音。

動いている社会の中での自堕落な自分。

 

私が悩んでいた頃夫がよく、「トンさんらしくいればいいんだよ」と言っていた。その当時は私らしさ、それこそを探し回っていたので、聞こえのいいことしか言わないと、腹を立てた。

この頃、自分らしさもどういう人であろうとかも、追い求める欲がだいぶ減った。もうどうでもいいやというか、もうわからないというか。

疲れたというか。

そうやって毎日を送りはじめた。

散歩をして、日向ぼっこして。本読んで昼寝して。息子が家にいるときは望まれているわけでもないけど家にいてご飯を一緒に食べてテレビ観て。

読みかけの本がいつも3冊くらいあって。

友達を励まして。自分は元気だと言い張って。

母に腹を立て、可愛く思い、あやしたり付き合ったり、逃げたり寄ったり。

遠く離れた夫とラインでしゃべったり、面倒で連絡しなかったり。

流行の服を買うことに興味はなく。息子のお下がりのスウェットを寝巻きにする。

インターネットで行きたい場所観たい映画を見つけて、想像して、行った気になって満足し、隣町のスーパーまで足を伸ばして「今日はお出かけをした」と充実感を味わう。

公園で写真を撮ったり、ベンチに座ってぼうっとしたり、ドトールでお菓子とコーヒーで本を読んだり。

小さいところで生息するのが好きなようだ。

 

世界が小さいのに、いつも宇宙の中をだだよっている生物の気分でいる呑気な生き物。

 

こりゃ変だわなぁ。

母が物足りなくて、あれこれちょっかい出してくるのもわかる気もする。

 

この私という生物の特徴はこのままではないような気もする。

毎日毎日小さなマイナーチェンジを繰り返しているような気がするのだ。

この頃、息子といるとき限定だが、私は踊る。おどけて踊る。

ダジャレも言う。

夫がやるとシラーっと眺めていたことを、やっている。

どこかにネジを落としてきたのかなぁ。

 

今、密かに企んでいるのは、カラオケに行ってみたいことです。半径1キロ以内にあるのでいつか、こっそりやってみようと思うのです。

変わってきたなぁ、私。