お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

あれ、これでいいのかも

昨夜、見つけた、という記事を生きる意味とかいいじゃない。だた、暮らしましょうよ。というドラマの台詞に「あ!」と、いろんなことが腑に落ち、興奮したまま書いた。

それに対してブックマークをしてくださった方が「焼うどんが上手なことでもいいんです。なんでもいいです。なにか一つでも生きがいがあれば」という内容のコメントを残してくれた。

…。焼うどんでもいいのか。

 

………。

生きがいって思ったことはないけれど。私はなぜか夫と息子の妻であり母であるのは自分だということに、私以外ありえないと、思っている。

自信というのともちょっと違って、「そういうことになっている」というか。決まっているというか。

お互いみんな、そういう設定にしてこの世に来たことはわかっているという感じ。

それはあまりにも当たり前なので、その上で、それ以外の何かを見つけなくちゃいけないという焦燥感がずっとあった。

30代は勢いと競争心や見栄や周りとの調和にばかり目がいって浅く充実していた。しかし40代になってこれまでごまかしてきた内面のモヤモヤや葛藤が急に溢れてきて、パニックになった。こんがらがってしまった。

迷って迷って、人を遠ざけて暗闇の中で息を殺してもがいていた。

自分だけが価値も何もない、生きている意味もない。

それが、最近、パコーンパコーンと、一つづつ外れていく。

生き方が辛いというのは、あれは、妄想だったのかもしれない。

一人で勝手にぐるぐる回って気持ち悪くなって。

そんなに苦しいなら、一度、止まったら?ゆっくり息をしてみたら?世界も宇宙もただじっとそこにあるだけなんだよ。

その辛さも苦しみも妄想なんだよ、実は。

 

焼うどんでもいいって?

焼うどんでもいいのか!そうなんだ!

人に言ってカッコいいことで何かないかと探していた。ずっと。

私のこれっていうもの。

通りで見つからないわけだ。

チルチルミチルの青い鳥。話の筋もその言わんとしていることも知ってるつもりでいたけれど、こういうこと?

こんなんでいいの?

じゃぁ、旦那と息子にとってかけがえのない私をやるってことだけでもいいのかなぁ。

いいのかなぁ。

 

子供の頃から夢はお母さんだった。

じゃ、いいんじゃん!それで。

いつのまにか、なにかもっともっと高度な私になろうとしていたなぁ。

 

お気楽に楽しく。

これが私の生きる道だった。