老婆の休日
スンスン鼻を鳴らし、自分の胸を自分で撫で、慰め消化させた話を昨日書いた。
これだけで終わってしまうと、公平でない。安倍さんが国会で叫んでいた「印象操作」になってしまう。ので、書く。
昨日の夕方、どうせ買い物にも行けてないだろうと、バターチキンカレーを持って行った。味にうるさく、いつも後からあれこれ難癖つけられるが、最近、これは気にしていない。なんだかんだ言っても食べている。
「あら、ありがとう。助かる。今、体操に行くのに今晩作るのめんどくさいなあって思ってたの」
むむ。やけに素直じゃん。・・・た、体操?
「ちょっと待って、この雪の中、体操教室行くの?」
もう降っていないとはいえ、外はまだ真っ白である。歩道だって道路だって、シャーベット状で日陰などは若者ですら要注意だ。第一、夕方6時なんて、日が落ちて暗く寒い中、帰路につく人、職場に戻る人らが足早に、たくさん歩いている。すぐそこの細い道は国道246と環七の抜道だ。タクシーも、ものすごい勢いで走り抜ける。
「だって、みんな行くっていうんだもん。」
みんなってどこの誰ですか、そのみんなを連れていらっしゃい。それにうちはみんなと一緒という理由ではダメです。みんなが死ぬって言ったらあなたも死ぬんですかっ。
・・・って言ってたの誰ですか。私が文鳥を飼いたいとねだったときも、ひょうきん族を観たいと言った時も。
「外、まだ危ないわよ」
「大丈夫よぉ」
まぁ気をつけなさいねと言って戻った。
台所を片付けていた。
まったく。だんだん同居していたおばあちゃまみたいになってきた。いよいよあの人も「おばあちゃん」なんだわ。母は父方の祖母と同居を長いことしていたが、相性が悪く、いつも彼女の不満を言っていた。いまの彼女はそれよりパワーがある。
あっ。
水を止め、母のところに飛んで行く。
「失礼いたします。決してこれは命令でもなんでもありませんが、今、大変なことを思い出したので。お伝えいたします」
「なによ」
「あれはまだ私が中学三年の冬、受験間際のちょうどこのくらいの季節。おばあちゃまが大雪の中、みんなの反対を押し切って俳句教室に出かけて、道で転んで骨折をして寝込んで、その後、恐怖のリハビリを・・」
母はすぐその話に食い付いた。
「そう!私も今それ思い出してた。あのときおばあちゃん、お医者さんが、もう骨はくっついているから歩きなさいって言っているのに、歩けないって私にしがみついて。いつまでも病人ぶってて・・」
違う。言いたいことはそっちじゃない。
「はい、すべて私も覚えております。しかしあの当時、あなたは毎日毎日、いい年して若い人のいうこと聞かないから、まったくいい迷惑だと私に愚痴っておりました。ちなみに、おばあちゃまは当時、いまのあなたより2つ若い73でございました」
「え?そう?」
一瞬、ひるんだが、
「でも私は大丈夫、鍛えてるから」
「いいですよ。これは強制ではありません。情報です。よく考えてそれでも行くならお行きなさい」
「なによ、転んでも面倒見ないよってことねっ」
「違います」
そんなわけないじゃないですか。
「たとえ、あなたが意地でも私の世話にはならないと言っても、骨折して身の回りのことができなくなったら、私は喜んで毎日こちらに伺います。毎日ピッタリそばにいて、あなたが嫌がろうと、オシメを取り替え、掃除洗濯をして、厳しいリハビリまで責任持ってお世話させていただきます」
「・・・よく考えるわ」
よろしい。
うしし。やーいやーい、勝ったぁ。
夕方、6時。シャッターを閉める音が隣の家から聞こえる。よしよし。今日は諦めたか。
その五分後、そーっと玄関の扉の開く音がして、ゴソッゴソッとゆっくり雪を踏みしめる音がし、やがて、門が開き、小さな小さな音がカチャっとした。
ええ度胸しとるやん。
・・・夜遊びに行くお姫様かっ。