ファンタジー夫婦
夫から電話があった。
今日さ。ちょっと事件があってさ。
単身赴任先でちょっとした事件と聞くと、なにかやらかしたのかと心配になる。
「この辺さ、朝、カラスがすごいんだよ。それでさ、カラスってさ、上空飛びながら、糞を落とすんだよ。知ってた?それでさ、今朝さ」
話はこうだった。
出社するときに歩いていると、例によってカラスが次々飛んできた。今朝に限って夫の頭すれすれを通過して行き、そのうちの1羽がポトっと落し物をした。彼は背広についたら大変だと、とっさに鞄を頭に乗せたという。
「そしたらさ、あとで見たらさ、やっぱり糞が鞄についてたんだよ」
事件は、鞄がカラスの被害にあったということかと思い
「まぁでも。背広じゃなくてよかったじゃない。あんまりひどい汚れで取れなかったら、新しいの、買えば?忙しくてもネットでも売ってるよ。」
自分の持ち物のお買い物好きな夫が、新しい鞄を買ういい理由になったではないのと慰めた。
「違う違う。事件はここから。それがさ。糞がくっついたところがさ、なんとほら、ファスナーのついたポケットあるじゃん、丁度あそこでさ、俺、まさしく、そのポケットの中に正月、神社で買ったじゃん、お守り、あれ、入れてたんだよ」
意味がよくわからない。
「だからさ、神様が守ってくれたんだなぁってさ」
神が身代わりになってくれたと言うのだ。
確かに彼と元旦早朝、近所の氏神様にお参りに行った。毎年、夫も息子もそこでお守りを買い、一年経つとお焚き火にお返しして、また新しいものを買う。うちの男子は二人とも神事、季節の行事を重視する。
私も見えない大きな何かの存在を信じている。こういうことは、人それぞれなので、科学的な考えの人から見ると、実に馬鹿げていることと映るだろうが、我が家は、こっそりファンタジー家族なのだ。
だからと言って、いくらなんでも神様がカラスの糞害の身代わりになってくれたという解釈はどうだろう。
「それはさぁ。こういうことじゃないかなぁ。遠く離れた私の管轄外の土地に行っていても、ちゃんと忘れていませんよ、氏子として、あなたのことも守っていますよっていうサインじゃないの?」
「そうそう!だから僕の代わりに糞に・・。だって、真下だよ、糞の。お守り。こんなことってある?」
うーむ。あるんじゃないだろうか。と思ったが気がつくとこう答えていた。
「そうだねえ。なんか神がかってるいるねぇ。今年、いいことありそうだね。よかったじゃん」
東京にいたとき、こんなことでここまで感動する人だったっけかなぁと、話しているうちに、もしかしたら、こんな些細なことですら、孤独じゃない、神様がついているんだと、心強く思うほどに慣れない土地と文化と人間関係で消耗しているのかもしれないなぁと思えてきたのだ。
それこそ、妻のファンタジー的解釈で、夫を美化しているのかもしれないが。