お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

アルムおんじのような私

朝の散歩コースの途中で立ち寄るコンビニに、ちょっと座ってコーヒーや店内で買ったおにぎりやサンドウィッチを食べられるイートインコーナーがある。最近、熱中症にならないようにここで、一休みをするのが習慣になってきていた。

そこで、何をするというのではないけれど、窓から外を眺めてぼんやりする。家に戻ると家族に委ねる時間の流れがここでは、自分だけのものになる。中断されることのない、確保された時間は、とてもホッとする。

何度か回を重ねていくうちに、この席に常連がいることに気がついた。8時ごろになるとふらりとやってきて、菓子パンを食べるおばあさんがいた。そのおばあさん目当てでおしゃべりに来るおじいさんもいて、その話から、美術鑑賞が好きなこと、夕飯の支度は午前中のうちにすませてしまうこと、朝5時に洗濯物を干すので帰ったらもう乾いていることがわかった。

おじいさんがいっつもそばにいて、気の毒になぁ。朝の時間くらい、一人でゆっくりしたいだろうに。あぁでも、一人暮らしなら、この朝のささやかな会話が彼女の楽しみなのかもなぁ。などと、余計なお世話で勝手に解釈していた。

私は会話に加わりたくなかった。そのおばあさんが一人でいる時も、持っているiPadで中古のiPhoneの値段を調べたり、思いつきをメモしたり、自分時間に没頭して、見えない壁を作っていた。

ある朝、店に行くと、ちょうどそのおばあさんがレジでパンを買っているところだった。私は目を合わせず、知らないふりをして、席に荷物を置いて、コーヒーを頼みにいった。黙ってそのまま席につけばよかった。そうしていれば、私の壁は崩れることはなかった。

ここの店員さんとも緩く、顔見知りになりつつあった。以前、マドレーヌを買った時、主婦のパート店員さんに「甘いもの、珍しいですね」と言われたことがある。

そのときも「ええ。」くらいの相槌でよかったものを私は思わず

「ええ。本当はお医者さんにストップかかっているんですけど、つい」

と言った。そんなことを言えば当然、相手は「まあ。どこかお悪いんですか」となる。となると、こっちから言っておきながら、説明しないわけにもいかないから、簡単に自分の体質と今、リハビリ中なのだということを話す。相手はこれを聞かされて、私に同情して、励ます。

余計なことを言ってしまった。ただの客でありたかったのに。

あちらも余計なことを話させてしまったと思っていたのか、その次店に行っても、お互い、いつものようにレジを済ませる関係に戻った。

おばあさんに話を戻す。この、レジでパンを買っているところにでく合わせた日、私は検診の翌日だった。ちょうど、その主婦パートさんが仕事を終え帰るところだったので、またしてもつい、彼女を呼び止めた。

「昨日、検診で、おかげさまで異常なしで。変な話を聞かせて暗い気持ちにさせてしまって申し訳なかったと思って。」

もう、心配しないで大丈夫なんですよと教えた方が楽になるんじゃないかと思ったのだ。彼女は私の手を握って

「よかった。大丈夫ですよ。きっと良くなりますよ」

と言った。素直にそれは嬉しかった。ふくよかな手は福々しくて、本当によくなる気がした。

そして、コーヒーを持って、席に戻ると、例のおばあさんが私をじっと見た。

私が店員と話している様子を見ていたおばあさんは、明らかに私を追いかけて見る。

「おはよう」

なんだ、おしゃべりする人なんじゃないの。という感じだった。しまったぁ。

「おはようございます」

そこで終わらなかった。彼女はおじいさんに話していたことも含め、自分には夫がいて、子供は優秀で、孫も優秀で、井伏鱒二が知り合いで家に行ったこともあって、と話し出した。毎日作っているスープのレシピがあって、それをメモ書きして私にくれた。

「やってみてね。またね」

嫌な時間ではなかった。嫌な人でもなかった。

でも、今日はそのお店に行かなかった。

二人も知り合いができてしまった。

偏屈なのだろうか。私は。

確実に一人を守れる場所をまた開拓しようと思っている。

もうじき涼しくなったら散歩の時間帯をずらそうか。午後の陽だまりの中のぼんやり時間に切り替えようか。

人がいるところに生きているのだ。一人にしといて、話しかけないでというは私の柔軟さがないからなのだろうなぁ。