お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

私の覚悟


人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい
あなたが善を行なうと
利己的な目的でそれをしたと
言われるでしょう
気にすることなく、善を行ないなさい
              目的を達しようとするとき
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい
善い行ないをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを
傷つけるでしょう
気にすることなく正直で、
誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、
壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを
受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、
世に与えなさい
けり返されるかもしれません
でも、気にすることなく、最良のものを
与え続けなさい

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
結局は、全てあなたと内なる神との間の
ことなのです
あなたと他の人の間であったことは
一度もなかったのです

これはマザーテレサの詩。

朝のラジオで聴いて、知りたくて「マザーテレサ、気にすることなく」と検索したらワーッと出てきたので、私が知らなかっただけなのかもしれません。

 

気にすることなく善を行いなさい。気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。

これは、慰めの詩ではない。

厳しい、喝を入れる言葉。

これまで、真面目に誠実にとやっていると、バカだとか要領が悪いとか、面白くない人間だとか、いい子ちゃんとか、そういう言葉にいちいち傷ついた。

どうして分かってくれないんだろう。

どうしてそんな風に受け取られてしまうのだろう。

傷ついて、被害者になって、いじけていた私にテレサは言う。

「甘ったれるんじゃない。そんな覚悟で善の人であろうと思ってんの?善であれば、誠実であれば、誰からも好かれて、誰からも理解されて、正当に扱われて、いい気分になれるとでも思ってるの。自分の心の正義を貫いて生きるってことは、並大抵のことじゃないのよ。いじけるくらいなら、やめたらどう?」

 

そう。そうなのよ。テレサ

私はやっと最近、その辺りのことがわかってきた。

不条理は当たり前の初期設定だったのね。忘れられたり、誤解されたり、それはお互い様の当たり前。私だってきっと誰かを傷つけている。

気にしてウジウジするのは、間違えてる。生きていく上でのルールを間違えている。

丸腰で、自分の善を貫く。

突き刺さる何かがきっとくる。

きても、気にすることなく、自分の思う誠実を進み続ける。そういうゲームなんだよ。生きるって。

いい人になって、いい気分になって、はい、上がりって簡単なもんじゃないんだ。

 

なんだ。そう言うことか。

そういう仕組みだったのか。

よしっつ。

やるぞ。