お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

心配だが

息子が四時過ぎに帰ってきた。

「ただいま」と言ったきり、二階に上がり、ベッドに寝転び、今、熟睡している。

どうしたんだ、と思うが、ダメージを受けていることは確信する。とするとこの場合、下手に突っつかないほうがいいのではないか。負の考えは、自分の中で発酵させる時間がちゃんとあった方がいい。なんとなく面白くないな、という入り口のあたりで親と話すと、自分が何をどう思っているのか、薄れると思うのだ。

友達なら、語り合うのもいいかもしれない。同じ視点、違う価値観、意見を交わしあって、自分の考えが浮き彫りになってくる。

しかし、母親と話すというのは。どうしても親が言う発言が、ただの意見ではなく、意味のある助言だったり、下手するとそれが正解に近いのではないかと、かき回してしまうことがある。

これは、自分が散々振り回されたから、トラウマでそうするのかもしれない。

「どうしたの」

と聞かれるのを待っているのかもしれない。

でも、一眠りして、「ちぇっ」とおさめられる程度のことを、その一言で、さも大きな事件性のあることにしてしまうこともある。

 

などと考えて、じっと待機の母である。

できることなら朝まで寝て欲しい。

今夜は先に夕飯を食べよう。

明日の朝には、雨と一緒に息子の心の中の檻が洗い流されていますように。