お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

ココはそういう場所だったっけ

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ぬいぐるみが好きそうとよく言われるが、めったに買わない。

子供の頃、買ってくれと母にねだると

「今もっているチャムジイがかわいそうでしょ」

と言われた。今にして思うと諦めさせるための口実だったのかもしれないが、小学生の私はハッとした。そうか。他の子を連れて帰ったらあの子が悲しむか。

それ以来、自分のためにぬいぐるみの類は自分では買ってこなかった。

 

今、考えてみると「悲しむ」とは限らない。

友達が増えて喜ぶということもある。

自分以外にも大事な子ができたんだと思って淋しがると母は言ったが、ぬいぐるみだっていつも子供の相手をしていたら、ときには勘弁してくれよと思うこともあるだろう。仲間がいれば、手荒に扱う子供が眠ったあと、暗い部屋でやれやれと一人ため息つくより、仲良く愚痴を言い合ったりできるとも考えられる。

兄弟たくさんの良さと一人っ子の良さがそれぞれあるように、なんでもどっちもどっちで、一つだけに固定された観念は無い。

子供の居る人生、いない人生、結婚するかしないか、賃貸か持ち家か。お受験か、させないか。インドアかアウトドアか。

どっちが王道とか正解とか、ない。

なんでも。あらゆることすべてにおいてなんでも有り。

唯一のタブーは、人と自分の身体と心を傷つけること。それさえ犯してなければなんでも有り。

個人の好みでありとあらゆる道がある。

そこに気がつくのに半世紀。ようやく、「あなたはそうなのね。そして私は私」と気負わず思えるようになりはじめた。

人の数だけ生き方がある。

人の数だけ家族の形がある。

人の数だけ育児や介護のやり方がある。

人の数だけ好みがあり、選択肢がある。

人の数だけ自由があるんだ。

私は自由。あなたも自由。私も王道。あなたも王道。

縛らず縛られない。

もともと、ここ地球はそういう優しい場所だったんだなぁ。

 

・・・。

写真は大人になって買った癒しのウサギくん。

当時、息子の中学受験に向けて、義父と母からの圧力と息子本人の意見 の板挟みで疲弊しきっていた私が、店頭で彼と目が合い、思わず助けを求めて連れて帰った。

あれ以来初めて買ったウサギのぬいぐるみ。

辛い時期を助けてくれた「恩ぐるみ君」なのである。