お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

恐れるものがなくなっていた

恥ずかしいことだが、私はずっと母の言葉に縛られて生きてきた。

主婦仲間と、姉と、世間一般と自分を比べては、体力的にも精神的にも容姿も劣っているとオドオドしていた。

無理やりエンジンを蒸かし「まんざら私もダメじゃない」などと悦に入ったりしたこともあったが、いつもその起動力は母から認められたいという欲望だったように思う。

今、降参して全てを手放している。

もう母の評価などを気にしないと達観したのではなく、そんなことも気にしている余裕すらないほど、身体が体ギリギリのところまできたからだ。

毎日を穏やかな気持ちでどこも痛くなく、無事最低限の家事と家族との対話がこなせ、そこに、笑いの一つでもあればもう、それで十分だ。

そうやって暮らしていると誤解されることや理解されないということ、自分をダメな人間だと言われることなど不思議と「そんなのどうでもいいこと」になってくる。自分がつつがなく1日生きることで精一杯。

以前、姉が家を出たくて、私が母と同居をし、自分は今、私たちが住んでいる家に移りたいと言ってきたことがあった。

いいよと答えたが母には話していなかったらしく、揉めた。

「そうやってちゃっかり広い家に住もうとしてるんだろうけど、私は今更家具を処分したくない。あなたの家具も食器も全部お姉さんにあげて、あなたはこっちの家のものを使うならいいわよ」

自分が気乗りでない同居をそんなふうに母がとらえたことがショックだった。

親なのに。そんな発想をする人間だと思われていたのか。

結局この話は姉自身が「やっぱり経済的に苦しいから、もうしばらく今のままでいい」と言ったことで、うやむやになった。

 

昨日、母がやってきてリフォームの話をする。ショールームを見に行こうというのだ。

話しながら私の様子を伺う。

「お母さんの望むようなことはできないかもしれないけど、あてにないならない存在なりに、とにかく死ぬまで側にいるから。リフォームをどうしようが、全くしなかろうが、同居だろうが、自分の家具は捨てないでこっちのを捨ててこいと言おうが、お姉さんにこの家を明渡せといおうが、なんでもありだと思ってるから。なんのこだわりもないからゆっくり考えればいいよ」

自然と口から出ていた。

もう、逃げる必要がなくなった。恐れるものがない。

私が自由なら、母も自由なのだ。

私を私の望むように評価しないとしても、彼女がそう思うのはそれこそ自由なことで変えられない。

私が「こう思ってくれ」と執念深くとらわれていたのだった。

母の評価を気にせずダメな自分のペースを貫きながら彼女と付き合っていくのは、私の自由。

母がどう私を扱うかは。母の自由。

自由を奪っていたのは私自身だったのだ。

同居してあげるという気持ちではない。

させてもらうとも思っていない。

二年後か五年後か、そういうことになりそうだが、その流れがきたときはそのまま流れに乗ろうというだけのことだ。