枯れてない100歳
祖母のところに行って来た。
母がついて来た。
行くと、叔父が持って来たらしく、祖母の高校生の頃のものから、新婚時代、そして母になった頃までのアルバムが置いてあった。母がはしゃぎながら広げる。母は感慨深く、昔の自分やもう死んでしまった懐かしい顔を説明しながら祖母と並んで見るのだが、祖母にとってそれは思い入れも何もない、ただの過去のようで、そんなこともあったわねと、さほどメランコリックにならない。
そうだ。この人は、どんな時も、自分を可哀想だとか、なぜ私にこんな不幸がとか、ドラマティックに溺れない。女優にはならないのだ。
仕方ない。やるしかないもん。
泣きたい時は泣き、怒りたい時はプイッと怒り、人に変な遠慮も気を使ったりもしない代わりに誰とでも誘われればどこにでもいって楽しむ。誰も恨まず、羨ましがらず、自分の道に落ちている障害物を「あららら」と乗り越え乗り越えここまで来たのだ。
だから、今更過去の写真を見ても「そうそう、この頃私はねぇ。。」などとシンミリしないのだ。
「だって泣いてなんかられないもの、生活しないとダメなんだから」
ある日、戦争が始まっても、ある日、小学生で一人で留守番してたら関東大震災が起きた時も。スキーに行った旦那が山で死んでも、いきなり未亡人になって勤めに出ながら一人で子供三人抱えても、離婚した長男がガンになって自分が看病し看取っても。きっと前だけを向いて突っ切って来たんだろう。
それでも、彼女とその途中から現れてくる若い生意気そうな小娘の母と知った顔の親戚たちの写真は、胸を打つ。
そこに確かにあった必死に懸命に生きている若い娘の母と気丈そうな女の祖母の暮らし。
みんな、よく頑張って生きて来た。それだけでえらい。
「おばあちゃん、よく頑張ったね、ここまでよく来たねぇ」
白い柔らかい頭を撫でた。
「うん。頑張った。だって泣いてたって仕方ないもの」
泣きたかったんだね。そうだよね。
「でも、私は運が良かった。感謝、感謝。今も感謝。ここの暮らしも感謝なの」
「でも、えらい。おばあちゃんが偉いんだよ。本当によく頑張った。その調子で101歳も頑張ろう」
はーい、と可愛く言ったかと思うと、その口で「あなたも今日はご苦労様でした」と上からのポジションを取り返した。
さすがです。