歩きながら考えた
台風に備えて、期日前投票にいってきた。誰も同じようなことを考えているようで、
「あれ、今日、投票日だったっけ」というほどの人だった。
あれほど腰が痛いといっていた母も、今日は吹き矢のサークルに行くといってきかない。選挙もいって、吹き矢もいくという。
もうすでにお化粧もして、スポーツウェアを着ている。
「・・・気をつけてね」
心配だが、目が「止めても無駄よ」と言っていた。うーむ。
今日はこの投票所までの片道三キロの距離を散歩がてら歩く。それで今日の運動はしたことにする。
明日は大丈夫だろうか。雨が降るといっているしな。
明後日は。月曜が本格的といっているけど。
二日連続、散歩どころの天気じゃないとなるのかな。
どうしよう。
歩きながら考えるのは、明日、明後日、明々後日の天気と散歩ができるかどうかのことばかり。
辛くなっている。心配になっている。散歩ができなかったら、どうしよう。
そんなに散歩がすき?違う。でも、運動しなくちゃって思う。
たった二日、三日、歩かなくたってたいしたことない。
本当は一日、家にこもっているの、大好き。
・・・・私はおかしい。
どうして大好きなことになりそうな明日、明後日が来るのに、こんなに苦しくなるんだろう。
どこかで大事な何かがずれている。
危篤から生還したとき、私は少し考え方が変わった。
この世で欲しいもの、大事なものなんて、ほんのわずかだ。
大事なのは愛。ただそれだけ。どこまで人を愛せるか。どこまで尽くせるか。
せっかくもう一度生きてごらんと、戻してもらったのだから、これからは人のために生きよう。
そのためには健康でいなくては。
私の基準は愛すること、愛を体現するための体力、強い心。
そのために食事に気をつけた。運動も毎日頑張る。自分のためにお金を使うよりは人を喜ばせたい。とにかく人に恩返しをして生きたい。
でも、今、苦しい。
肝心の私の中の私が苦しがっている。
危ないことに、また、日々の生活から逃げて消えてしまいたいと、思う時がある。
何かがズレている証拠だ。孤独の修行のような日々に消耗している。
もし、死んでしまいたいといって、どうぞ、いつ死ぬの?って言われたら。
・・・・。
その前に、どうせ死ぬなら、もうなんでもいいや、あれやっちゃお。
あれもしとこう。どうせ死んじゃうなら、恥ずかしいも、かっこ悪いも、どう思われるもない、こんな毎日を過ごしてたら、なんて心配もいらないし。だって心配する未来がないんだから。
・・・。
今、重苦しい生きづらさの中で無難に、正しく過ごすのは、先の生活に備えて、せっせせっせと準備しているから。
でも、その準備の最中にぷつっとendが来ることを想定してない。
あれほど急に危篤状態になったのに。
年内までの命となったらこんなに頑張るだろうか。
自分を鍛えるだろうか。
そんなことを考えていたら、自分の人生が勿体無くなってきた。
自分を生きる。自分の好きなことだけをして生きる。
それができないのは、周囲との不調和を恐れているからか。
とにかく、今を我慢して先の生活のために今を壊さないように続けている。
あぁ。こんなこと、確か前にも思ったはず。
頑張るの、今度こそやめよう。
もっと、自分を軸に世界を泳いで行こう。
自分があって、そのまんまの自分で人と関わるのだ。
喧嘩や不満や評価を恐れるのではなく、有るものとするんだ。
私が変われば、反応も当然変わる。
怖い。怖いからいつも途中でやめてしまう。
でも、やるんだ。だってこのまんま死んじゃうもん。
年内で死ぬとしたら、なんだってやるだろう。
死ぬ気になって、ダラダラ無責任に好きなことだけして暮らす。
絶対、心の底から晴れ晴れとした日々を手にいれる。
生きている間に。
未来なんてない。過去もない。
妄想と想像と記憶に怯えて、いつも準備ばかりしている私の今はどこにいった。
今を生きるんだ。
今から!