枠を外していこう
お店に入ると、ガラスの前を通過した私に気がついていたおばさんは私を手招きした。
よし。受けてたつぞ。
私は隣に座らず、二つ空けた席に座る。
こっちこっちと、また手招きする。仕方ないけれど、そっちに移った。
「お久しぶりね。今日は暑いわね」
「はい、でもそれをいいことに布団も、秋冬物もまだ出してません」
「あなたおもしろい」
え。
それからそのおばさんは、オペラと美術鑑賞が好きなようで、来週見に行く個展の話を始めた。無知な私には知らない作曲家や画家の名前がたくさん出てきた。アルチンボルド展を見にいくんだけど、あなた、わかる?これは知っていた。今、国立西洋美術館でやっているおもしろい絵を描くイタリアの宮廷画家。それくらいしか知らないけれどそう言った。「あ、そう、私、今年、知ったのよ」「私も日曜美術館をたまたま見たときやってて知っただけです」
おばさんは美術談義ができると勘違いしたのかさらに続けた。
「宮本三郎って知ってる?」
「知らない。有名なんですか?」
「え・・えぇ。そうね。絵の教養のある人なら知ってるわね、たいていの人は」
知らないものは知らない。すると私のiPadで今、調べろという。
「えぇ・・もう、めんどくさいなぁ・・」
私はこれまで人に、母にも、めんどくさいという表現も態度もしたことはない。これまでこのような場面では、心の中で「めんどクセェ」と思いながら表情は朗らかに「あ、そうですね」と対応してきた。
この、なんの関係もないおばさんに、やったのだ。めんどくせえよと、やったのだ。この人が私をなんて冷たいと思ったとしても知ったこっちゃないのだ。
「ちょっと調べて見てよ」
おばさんは私がこんなにドキドキしながら自分の毒を晒しているというのに怯まない。そうはいうけど、話の流れ上、私もどんな絵を描く人なのか興味が湧いたので、グーグルで検索した。
見たことのあるような気のする作品が数展、あったが、やっぱり知らなかった。
「やっぱり知らない」
「あら、そう。有名よ」
有名な人だからというわけではなく、その絵は確かにどれも魅力的だった。人物画が多いのだが、素人にもわかりやすい、あったかい愛情に満ちた太い線と色合いの作品がたくさん出てきた。おばさんそっちのけで、じっくり読むと、私の家からバスで20分ほどのところに彼の美術館があることがわかった。
「美術館、あるんですね」
「あ、そうなのよ。なかなかいいわよ。それでね、私、あとオペラを観に行くんだけど・・」
おばさんの話題は宮本三郎から次に移った。私はあとはほとんど興味のない話題だったので
「もう帰ります」
と言った。
「あら、お忙しいの?これから何するの?お仕事?」
「なんにもしません。本を読んで、文章書いて、家の中のものあっちに移したりこっちに移したりして。うとうとして。」
「あら、そうなの」
スッパスッパと本音だけを言った。
「またお会いしましょう」
おばさんは言った。
「また、タイミングがあったときに」
「あなた、なんか、あったかくて人柄が良さそうで好きなの」
なんと。これには本当に驚いた。
どうとでも思ってくれと、一切気を使わず、気が乗らない時は適当に聞き流し、いい加減飽きてきたら、もう、帰るとバッサリ打ち切ったのに。私の中ではかなり雑なひどい対応だというのに。
これには参った。
細心の注意を払っている私は偽物の私。言いたいことも飲み込んで、笑顔で、感じよくして、疲れるし、その割にどこかバカにされて、いつもいじけてきた。
こんな私ですが、何か?という開き直りで感じたまま、思ったままを言った丸出しの雑な私を好きだとは。
やられた。
自分の暇つぶしのために、私の機嫌をとって言ったお世辞かもしれない。
それでも、私の思うほど、人は私の毒に傷ついたり、私を批判したりはせず、受け流すということがビックリだった。
家に帰る道すがら思った。
きっとあのおばさんも、この私にどう思われようと痛くもかゆくもないのだ。だからとりあえず、褒めたのだろう。違う人だったら、こうはいかないのかもしれない。でもグイグイくる鬱陶しさのない相手に感じる苛立ちを出したところで、なんにも起きなかった。
人と人の化学反応って想定外のことばかり。
頭でっかちだったんだなあ。私。
世界は広い。私は自由に自分を表現すればいい。