お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

私の日々の重ね方

昨日は庭の雑草抜きと、大きくなりすぎたツツジの刈り込みをしました。

窓からは見えないところだけど、外出するたびに目に入ると「なんとかせねば」ときになっていていたところでした。

お隣の庭と面している場所なのです。そこが落ち葉と雑草で鬱蒼としてくると、鬱陶しいのもお隣。蚊が発生して被害被るのもお隣。涼しい風が入ってこないのもお隣。何もおっしゃらないけど、その御宅のおじいさんが高枝鋏で、自分の敷地の木の枝を切っているのを見たとき、「あんなに一日中一生懸命やっても、うちがあれじゃ、何の意味もない」といたたまれない思いでその脇を通りました。

息子が山のように抱えた課題で頭を抱えていました。

「俺さ、もう全部の量考えると気が遠くなるから、一個一個だけ、見ていくことにした。先は見ないで、目の前のものだけ集中する。気がつけば終わるであろう」

なるほど。それ、いただきです。

庭の全部の手入れを思うと面倒だけど、あのピンポイントだけ。今日はあそこだけにしよう。一日の家事も、あれやって、これやってじゃなくて、まず、これ。それから、これ。今はまず、庭のあそこ。とにかくそこだけやってしまおう。

 

二時間かかりましたが、気になっていたところがスッキリすると、やる気スイッチがカチッとオンになるんですね。高揚した気分のまま、餃子を作り、掃除機をかけました。

90リットルのゴミ袋にいっぱいの落ち葉と枝。

惚れ惚れとそれを眺めながらの昼ごはん。

こんな普通のありふれた日曜日を無理なくこなせるようになった自分が嬉しい。

丁寧に暮らすって憧れていたけれど、体力がないとそれもできない。

本当に体がしんどいと、洗濯物さえ干せない。

 

体調の波があるのだから、できる日の自分とできない日の自分を比べず、毎日、その日、その日だけを見ていくことにしよう。気がつけば人生の日々を重ねていくでしょう。もしかしたら丁寧に暮らすとはそういうことなのかもしれないなぁ。

理想は持たず、その日その日に合わせて。私はそういうことにしよう。