お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

じわじわくる達成感 怖いと共存

朝食後、母が嬉しそうにやってきました。

「楽しいお誘いです」

です、と言う口調だけれど、その口調は、ちょっと得意げ、ちょっとはしゃいだ、高揚したものでした。

「これ、行きましょ」

私の前にトンっと置いたのは「さだまさしコンサート」の切り取った新聞広告と、母が書いた数字を書いたメモ、そして一万円札二枚。

う。

やだ。

瞬時に思った。

「何よ。いやなの?あなたが喜ぶと思って、なかなか繋がらない電話、頑張ってとったのよ。あなた、いつも行きたいなぁって言ってたから、せっかくとってあげたのに」

母にしてみたら、いっつも家の中にいる私がジメッとしみったれているようでかわいそうで、ちょっとしてサプライズのつもりだったのだろう。喜ぶに決まってると思ってやってきたに違いない。

自分と一緒に外出することをそんなにも、拒否されるなんて思ってもいない。

 

さださんは今でも好き。コンサートもいつか、行ってみたい。でも、それは今じゃない。もっと心も体も時間も余裕が出来てから、ゆっくり楽しみに行きたい。

それに。母と二人。「あなたのためにお母さんがしてあげた」という企画。

もう、無理。

これまで、旅行も映画もなんでも、こういうことは何度もあった。その度に、無理してついて行った。嫌だというと、怒られ、つまんない人と言われ、結局、いく。どうせ行くなら、最初から気持ち良く楽しみなさいよ。ほら、来てよかったでしょ。

「うん、ありがとう」

私はそこでも嘘をつく。喜んで見せる。

相当の緊張と努力をして行くのに反して、母の方は、「私のおかげで元気になった。あなたは時々こうやって強引に外に引っ張り出さないとダメなのよ」と満足して、自分の手柄のように推してくる。

もう、こういうの、できない。頑張れない。

 

一緒に外出するのは辛いのだ。

「せっかくとってあげたのに、何が不満なの、いっつもノリが悪い人ねぇ楽しみなさいよ、なんでも」

「そうやって大声で怒らないで」

勝手に一人で予約したくせに。これは言えなかた。一番言いたいことだったけれど、これを言ったら、激情するのはこれまでの経験からわかっている。

「まぁいいわ。預けておくから、チケット交換しておいて。明日までだから」

私は行かないと、さらにその場で言えなかった。

母が私を喜ばそうと張り切ってウキウキしたこと。それを私が喜ばないことで、悲しませること。良かれと思っての母の気持ち。逃げたい私。私が我慢すれば丸く収まる。

75歳を今更、私の我儘で傷つけるのか。たった半日。

一度は覚悟を決めて、行こうと思った。

けど。ダメだ。すでに考えているうちに泣きたい。今から、9月の当日まで、この重苦しい気持ちのまま暮らしたら、私はまちがいなく、またカウンセリングに行きたくなる。

これを断ったら、きっとまた姉と二人で、「やっぱりあの子はまだ病んでいる」となるのも目に見えている。ダメな子にまたなってしまう。

いい。もう、それでいいです。

自分の魂の安全を守るのに、母を傷つけないとやっていけないダメな私。そういう私。受け入れよう。それが私。もう、誤魔化さない。

部屋の中を何度もぐるぐる回り、エイっと力を振り絞って隣の家に行く。

「あの・・やっぱり行きたくないのですが」

「何が」

「これ」

さっきの切り抜きとお金を机に置いた。

「そ。わかった」

母は、そこから切り抜きだけを手に取り、ぽいっと向こうに放り投げた。

その仕草に怒りを感じ、怖いと思う。

「すみません。せっかく頑張ってくれたのに」

「いいえ」

勝手にやったくせに。なぜ、怒られるんだ。悪いことをした後のように気まずく去る自分に納得できないのに、なぜかペコペコしてる。

すべてが悲しい。すべてが。

 

散歩して。蝶に会い、紫陽花を見て、歩く。歩く。歩く。

9680歩。

でも、できた。できたじゃん。一歩前進したってことじゃないの、これ。

はじめて、本当の気持ちと同じ反応をしたんだよ。

 

心に嘘をつかない。できた。よし。まる。