お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

反則

寝る前に、自分を落ち着かせるためにもう一度、書いている。

さっき息子が私の部屋のドアを開けて、中に入ってこないで突っ立っていた。

寝っ転がって「陸王」を観ていた私は、気配に振り向く。

「びっくりした・・どうしたの」

「・・もう、ほんと、やだ。」

うわ。最近持ち直していた、例のやつがまたぶり返したのか。さっきまで夫と長く電話で相談していた。そこで、また何かを考え始めたのだろうか。それとも、母の暴言が結構、響いているのか。「もっとバカにならないとダメよ。真面目すぎるのよ。そんなんんじゃ生きていけないわよ。」強烈なオマケで「自信のない人が強くなれる方法」みたいな本まで進呈された。誕生日祝いの日に渡す本かね。全く。

本能的にあまり、こちらから積極的に聞き出さないほうがいい気がした。愚痴るなら、聞こう。泣くなら泣け。ここで泣いてもいいぞ。

「どした、泣きたくなったか」

「もう、マジでやだ、全てが嫌だ。死にたい、大学も行きたくない」

「そうそう。生きてるとあるよね。そういう苦しい日々。・・転科の話はどうなったの」

「それだって、希望が感じられなくなってきた、もうダメだ、死にたい」

黙っていたら、そのまま出て行った。私はそのままドラマを観る。

 

禁句だ。死にたいなんて、反則だ。その言葉は。迂闊に使っていい言葉じゃない。

どれほど自分が辛いか、苦しいか、わかってもらいたくて表現したくて、できるだけ強烈な単語を選んだのだろう。そうであってほしい。

しかし。この言葉こそ、私を深くえぐるように傷つけるものがあるだろうか。

息子は反則を犯した。今日はそれほど、彼自身が傷ついたのだろう。

私も、この衝撃に自分自身、フォーカスしてエネルギーを注がない。真剣に生きている若者とその母親に起きた、一つのエピソードなだけだ。

広い宇宙で、そんな一場面が起きた。それだけのことなのだ。

 

なんてことを書いていたら、窓から月が見える。