お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

反則にはイエローカード

今朝、目が覚めて、昨日の夜の息子のことを思い出した。

毎朝、まっさらの1日だというのが最近の私の考えなので、昨日からの流れや、やや湿っぽく、腫れ物に触るように行きがちな空気間は、昨日のこととした。

今の設定は、学校がつまらなく、行き詰まって苦しんだ息子が「死にたい」という言葉を使って心を伝えた。そこから。

やはり、言葉がいくら信号で、伝えるための道具だとしても、この単語を軽々しく使うのは私は受け付けない。正しいか、正しくないかではなく、私は好まない。

それは伝えなくては。

息子がどんなに心が弱っていようと、知ったこっちゃない。私が嫌なことをしたのだ。私こそ、どれほど嫌か、伝えよう。

 

昨日の悲劇の主人公を思いっきりひきづっている息子は、風呂に入っていた。

「タオル、取り忘れたから取ってくれる・・」

僕はまだ立ち直っていませんといった弱っちい声で言う。

「はいよ」

風呂上がり、朝食を食べている息子に言った。

「どんなに辛くても、それを表現するために、死という単語を使うのはやめて」

ムッとして、

「だって、本当に死にたいんだ」。

「じゃぁ、その時は、本気だって言って。その時は母さんも死ぬから」

「なんでそんなこと言うんだよ。聞きたくないよ」

「何言ってんの、昨日の夜、絶望的な気持ちになったよ。でも、腹を括った。この世にお前がいなくなるなら、私も生きている意味がない。この世になんの執着もないよ。すぐ死ぬ」

「そう言うこと簡単に言うなよ。そうやって脅すと言えなくなるだろ」

「冗談じゃない。ドラマの安っぽいセリフみたいに、あなたが死ぬなら私も死ぬわって言うんじゃないんだよ。鬱になって、それこそ毎日死にたくて死にたくて苦しかった時、あぁ、目の前で母親が危篤になってやっと戻ってきて自殺なんてされたら、お前の心に償っても償っても取り返しのつかない傷を残す、それだけは申し訳なさすぎる、いつでも死ねるんだから、息子が死ぬまでは生きていこうって1日1日を繋いだ。私の生きる希望と勇気だった。それがなくなったら、この世になんの未練もないよ。すぐ、死ぬ。」

「悪かったよ、もう言わないよ」

伝わったようだ。

出かける時、玄関に送りに出て、言った。

「どうせ、昨日、死にたいと思ったんなら、今日1日だけ、好きなようにやりたいようにやっておいで。何があっても丸ごと君は正解。存在自体が、大正解なんだよ。そうやって一つ一つの1日を繋げばいいじゃん」

「・・だから死なないし。死なないから」

私は本気だよ。

久しぶりの本気のイエローカード