彼岸の入り
長い1日だった。
夫を昼過ぎに送り、それから母と墓参りに行った。
去年のこの時期も母と二人で行っている。その時は夫の単身赴任の準備と息子の入学準備と重なって、大忙しだった。そして当時の私は母と行動することが辛くて、彼女と食事をすると決まって下痢と腹痛に襲われていた。
たった一年。
大きな一年だった。
今日、母のわがままも、悪態も、心に刺さらなかった。
適当に相槌を打っていると、ずっと喋り続けている。相変わらず友人の悪口と自分の自慢話と私の主婦として母としての無能さへの意見なのだが、ただ、ただ、聞くだけに徹する。話の内容の意味合いなどは深く拾わない。聞くに徹した。
話の内容より、その様子を見ていると、なぜだか可愛いとすら思う。
根拠のないこと、偏見と見栄をうまくごまかしていかにも重大なことのように話す。まるで学校であったことを自分の都合のいいように多少色付けして話す子供のようだ。
いつからこうなったんだろう。私の知っている賢く、鋭く、容赦なくぺちゃんこになるまで追い詰めてくる怖いあの人ではなくなっていた。
母が老いたのか。私が見えないものが見えるようになったのか。
父はきっと母のこんな子供じみたところも知っていて好きだったのかもしれない。
まず、母が亡き父と祖母とご先祖様に手を合わせる。
次に私が暮石の前にしゃがみ込む。
(お父さん、みんな元気です。息子は19、私は49、夫は51、お姉さんは52になりました。お母さんも今年で77です。仲良くやっています。これからも私たちを明るい方へ楽しい方へ導いていってください。いつもありがとう。・・・お母さんのことはちゃんと面倒みるからね)
「どっかでお茶してケーキ食べたい。あなた旦那さんが帰ったんだからゆっくりでいいんでしょ。」
仰せの通り、雑司ヶ谷の墓地から大江戸線で渋谷を通過して、自由が丘まで行き、駅前のダロワイヨでケーキセットを食べ、お店を数件冷やかし、夕飯の買い物をしてバスで帰ってきた。夕方の5時半過ぎになっていた。
息子を朝5時半に見送り夫を12時に見送ったのは昨日のことのような気がする。
長い長い一日だった。
春の始まる予感がする。