お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

無限にある扉を開けて

f:id:ikuko-0307:20180213170117p:image

今日、思ったこと。

ちょっと伝わるかどうか自信がない。

 

私が生まれてこの星にきたのは、体験するためだといつからか思うようになった。

でもそれは受動的で、目の前に起こること、出会う人、見る映画、読む本、人の意見、もらうもの、与えられる状況、自分ではどうなっていくのかわからないけれど、降ってくる日常を体験して感じるためにこの世に来たのだと思うのだ。

だからわたしはあまり自分の人生を自分で計画して作り上げていくという発想がない。

子育てにしても、この子のやりたいということを、法や倫理に反しない限り全肯定したらどんな人間になるんだろうと、神様から種を預かったような気持ちで彼を見ている。

それなのに矛盾しているのは、自分よりずっとセンス良くくらしている人や打ち込むものを持っている人。同じ母親でも上手に子供達をサポートしながら自己実現もしている人、美しい人、おしゃれな人、賢い人、いつでも陽気なひと、フットワーク軽くいろんなところに行く人、介護をして愛に包まれている人、運動をして立派な身体を鍛えている人、言い出したらきりがないけれど、目にする人達、それはずうずうしくもメディアの中も含めてなのだが、とにかく魅力のある人を知るたびに、自分と比べて落ち込んだり、自信をなくしたりして、その度に「この人生シチュエーションを選んで生まれてきた」という信念がブレブレになる。

 

このブログを始めたばかりの頃、それがすごく、あった。

どの人も自分より立派に生きているように見えて、あたしってなにやってんだろと、自分が一番劣っているようで沈んだ。

 

ここにほぼ毎日なにかしら書き続けるようになって、見知らぬ人が見知らぬ人でなくなった。

友達のようで友達ではない。

会ったこともないけれど架空の人ではない。

言葉をかけてくれたり、はげましてくれたり、道を示してくれたり。

そして、それと並行して「私の今日はね」「僕の今日はですね」と教えてくれる。

わたし個人への報告ではないのに、自分からアクセスしているのに、私にレポートしてくれているような、そんんな分身的な存在。

 

ここで知り合った人たち。

本の作者。

テレビの役者。

ドキュメンタリー番組。

ちょうど旅物語を読んでいると自分もその土地に行ったような気になるのと似てる。

語り手がいるブログはとくに。

私じゃない人生を見せてくれる。

私の代わりに、体験して、味わって、教えてくれる世界。

前は人と関わるのが怖かったけれど、今は扉を開けるように知らない世界を教えてほしい。

考え方。暮らし方。感じ方。無限の扉。

 

それを吸収して私もまた発信する。

遠いどこかで、わたしの発するものが誰かの扉になるかもしれない。

ならなくてもいい。

吸って吐いて。

息をするように、人と関わるんだ。

比べるために出会うんじゃないんだなぁ。人って。