母からサンタさんへ
テレビのコマーシャルで若い俳優がサンタの格好をして、ちょっとふざけたことを言うというのがあった。それを見ていた息子が
「こんなの、昼日中から流して子供が見たらがっかりする」
と言った。
「最近の子は賢いから、いくらなんでも胡散臭いサンタと本物らしいサンタの見極めはつくよ」
「確かに」
「それにサンタ、日本語使わないし」
「確かに」
話はそこで終わった。
我が家のクリスマス、サンタがくるのは小学校6年生までだった。
まだまだ息子が小さい頃から私は彼にこう教えていた。
「うちはね。お母さんがおまえを産んだとき、サンタさんと契約を結んであるの。
いつまでにしますかっていうから、小学校6年までって言ったの」
「なんで、もっと長くずっとにしてくれなかったの」
「だって、どんどん子供は生まれてくるんだよ。大変じゃない、サンタさん。身体の弱い子とか、お父さんとかお母さんと離れ離れの子とかはずっと毎年会いにいってあげて欲しいでしょ。君には父さんも母さんも、おばあちゃんも、ねえねもいるし、丈夫な体もあるから、順番を誰かに回しますって言ったんだよ。その代わり、本当に困ったとき、辛いとき、心の中で呼びかけたら、必ず力になってくださいってお願いしたの」
「困ったとき、来てくれるって?」
「うん、来なくなっても、いつでも見てるから、すぐ、サインを送るって。君にしかわからないサインで助けるって」
私は大真面目だった。神様からお預かりした命と思っている、息子のことは。私の子供というよりは。サンタさんも神様とは同じ世界の住人だろうと、私の世界ではそういうことになっているのだ。一度流産し、結婚5年目にしてやって来た命は、私にはどうしても偉大な何かから預かったもののように思えた。世の中を明るく照らす光の一つになるように、大事に大事に育て、世に返す。それが私の仕事だ。
6年生までの間、私は徹底した。
毎年12月になるとNORAD(北米航空宇宙防衛指令部)のサンタ追跡サイトを開き、いま、サンタがどこにいるかを一緒に見た。枕元に置いたクッキーとミルクティはわざと、半分だけ食べ、残した。時に値のはるものを要求されても、サンタなのだからと割り切り、調達した。何が欲しいのかは、早い時期からわかる仕組みになっていた。
「12月の一番最初の満月までに、欲しいものを書いた紙を住んでいる家のポストに入れておく約束になっている」
と言っておいた。
「うちは、ゲーム機は結構ですって言ったよ。中学生になってから、私たちがその時の息子の様子を見て、買ってあげようと思うので結構ですって」
「それから、この約束をサンタさんとできる妊婦さんは、少ないの。誰かに言いたかったら言ってもいいけど、信じてくれない子の方が多いから、悲しまないでね」
幼稚園児だった息子は「選ばれた命なんだ」と自分を誇らしく思ったのか、このストーリーを丸ごと信じてくれた。
彼は実は今もこっそり信じている。
サンタをそのままというよりは、そういう見えない力、先祖や誰かが自分を守っていると、心の真ん中に、そんな思いがあるようだ。
「誰も見てなくても、俺が、嫌なんだよ」
ごまかしのきかない生き方を選ぶのはそのせいじゃないかと思う。
今年のクリスマス。
サンタさん、息子は転科すると決めました。
どうぞ、どうか、力になってやってください。
勇気と希望と発展をプレゼントしてやってください。