お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

101歳にして、8皿の寿司。

祖母のところに行ってきた。

今日は母と一緒。最近、母と行動を共にすることがまた増えてきた。76歳が101歳の祖母のところに行くのに動向する48の孫。そう考えると私はまだまだひよっこなのだ。祖母がいつまでたっても母を娘扱いするように、母からしてみたら私はいくつになっても手のかかるダメな娘というのも納得がいく。

祖母はこのところ、食も細り、足元もふらつくようになってきた。足腰が強いのが自慢の人が私に捕まって歩くことも珍しくなかった。それが当たり前のことなのだろうが、この年齢になってくると、そういった些細なことも、いよいよの時に近づいてきているのかと周りは皆思う。「あの調子じゃまだまだ死なないね」という軽口も誰もが慎むようになっていた。

いつものように受付のところで事務の人に挨拶をする。私は一人でくるとここで祖母の近況を聞きながらよく、立ち話をしているのだが、今日は受付からすっ飛んできて、呼び止められた。

「この間、近所の回転寿司屋に車を出してみんなで行ったんですけど」

あぁ、また食べなかったという話かなと思って聞いていたら驚いた。

なんと祖母はそこで回る寿司を8皿平らげたというのだ。おまけのデザートにチョコレートのムースまで完食したという。

「すごい・・・だって食欲が」

「そうなんです。久しぶりのお外が嬉しかったんですね。私もびっくりで」

そして、その日を境に彼女はまたモリモリ食べるようになり、すっかり盛り返してきているという。

会いに行ってみると、その通りだった。血色は良く、つかまり歩きもなくなり、スタスタと一人で歩く祖母がそこにいた。

相変わらずの物忘れなので、お寿司を食べに行ったことも自分の食欲がかなり衰えていたことも全く覚えていない。本人は何も変わらずいつもこの調子といった様子で

「なんでも美味しい。なんでも食べてる」と笑っていた。

 

祖母は生きているだけで私を感動させる。

人が生きるということはこんなにシンプルで力強いものなのだ。

そして、愛する人がただ、機嫌よく笑っていてくれるということも。

 

母もまたそれを見て嬉しそうに笑う。

その二人を眺めて私も笑う。

笑顔のバトン。