お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

チョイチョイチョイチョイ

病院内のカフェに並んでいた。

私の一つ前は杖をついたおばあさん。

午前中のまだ早い時間、検査のために朝食を抜いてきた人は割といる。彼女もそうなのか、ショーウィンドウとレジ前にあるカゴの中の焼き菓子を交互にじっくり見ていた。

「チョイチョイチョイチョイ」

小声とはいえない声でそう言いながら覗く。どういう意味なのか。なにかのまじないか。機嫌がいいのか。いや悪いのか。単調な抑揚のないチョイチョイの意味はわからない。

化粧っ気はないけれど、骨太でちょっと日に焼けた肌。ほとんど白い頭にところどころ黒い毛が混じっている。

腰は曲がっているけれど、その太いしっかりした声に病人っぽさは感じられない。

看病する側の人なのだろうか。

 

商品名と値段を書いた札がよく見えないらしく、一つ一つの商品にじっと寄り、納得いくまで選んでいる。

「チョイチョイチョイチョイ、これ、柔らかい?」

スコーンを指差し店員のお姉さんに聞く。

「は?」

「チョイチョイチョイ」

おそらく歯が弱いので嚙み切れる柔らかいものを探しているのだろう。しかし若いお姉さんはそこがわからない。これ甘い?これ辛い?ではなくこれ、柔らかいとは、なにを言ってんだと戸惑って返事をしない。

通じていないのを気にせず彼女はスティックチーズケーキが入った小袋袋を摘んだ。

「お、これ柔い」

そしてレジ前におく。お姉さんがレジを打とうとすると手のひらをピッと彼女に向け、「待て」の合図をした。

お姉さん、指示に従い手を止める。

今度はガラスのショーケースの中にあるサンドウィッチとフランスパン生地でできたカスクートを見定める。

ショーウィンドウはこちら側が開いており、自分で気に入ったものを取り出して持って行く仕組みになっていた。

「これはどれが柔らかいか?」

「それは自分で取ってください」

微妙に噛み合っていない。私の後ろに並んでいるベビーカーの子連れの若い夫婦が「わかってないよ」と囁きはじめた。

「この下の段のこっちから向こうは全部柔らかいです」

つい、一番下のサンドウィッチの卵、ポテトサラダのある方を指して教えてしまった。

「そうそうそうそうそう」

若い二人が背後から同調する。

「こっち?」

「そうそうそうそう。そっちからならどれでも大丈夫」

後ろの夫婦も小さい声で加わった。

おばあさんは私の顔を見て

「オーケーオーケー」

とニコリともしないで頷いた。

あ、わかったのね。タマゴサンドに決めるかなとおもいきや、それでも「チョーチョイチョイチョイチョイー」と言いながらもう一度全部の商品を見定め

「いいのないねー」

とまたレジ前にもどりカップケーキを指で押しながら

「これにするか」

と若い店員さんに渡したのだった。

「まだ飲み物決めてないからね、飲むからね」

この人面白いなぁ。どこまでもオドオドしない人って、妙なことをやっていても見ていて落ち着く。

「お後の方、こちらで先にどうぞ」

年配の女性店員が二つ目のレジを開けて私を呼んだ。

あの後、あのおばあさんはどこで食べたんだろう。持ち帰ったのか。患者さんに買うためにやってきて病室にもっていってやったのか。

若い夫婦も私も思わず一瞬ひとつにしてしまった不思議な彼女。

言わないでと言ってみた

母と話していると

「あなた根回しが下手なんだってわかった」

と言われた。

先日の家族の揉め事の要因は私が事前に息子と夫を誘導していなかったからだという。

おっしゃる通りだ。

私はあらかじめ、これこれこういう話が今持ち上がっているよ、それは近いうちに実行しようかということになっているよ、とそれでもちょいちょい会話の中に入れ、息子の様子を見ていたつもりだった。そのときは「ふーん」程度の反応だったので、ああ抵抗ないのだなと捉えていたが、それが甘かった。全員揃ったその場で異議を唱え強い口調で抵抗した。

「そもそもさっきからばあちゃんひとりで喋ってるじゃなないか、もしネエネも母さんもそうしたいならもっと二人が話せばいいのに、ばあちゃんだけが話を進めようとしている。俺は賛同できないし、その必要性が今の段階では理解できない」

それは私もびっくりするぐらい容赦無く、理論だった物言いだった。

すると夫も息子の肩を持ちはじめ、その場はみごとにピリついた。

母の言い分としてはそもそも、この話し合いの場に連れてくるまでに私がもっと二人を納得させておくべきだったのだということなのだ。

おっしゃる通り。

私はそんなに何度もこの話を持ちかけなかった。あんまりいうと、うるさがられるのが嫌だったからだし、決まったこととして納得しろという意思もなかったからだ。

「そいうとこ、バカっていうかダメなのよ」

「バカとかダメとか言うな〜」

バカとかダメとか言わないで。

家族に根回ししてなんとなく丸め込んだまま、物事進めることはしたくなかったんだ。

揉めて良かったと思ってるよ。

あの場で自分の意見をぐいっと言ってのけた息子に驚きもしたけれど、ちょっとホッとしたよ。

胸の内までは声にしなかったが、バカと言わないでに、何も考えなく二人を強く誘導しなかったのではないという抵抗も込め声にした。

あぁ。

思えばあなたはずっと根回しをしてたんだ。良かれと思って。

そこに気がついたのが今かと思うと自分で呆れる。

「バカって言わないで」

「だってバカなんだもん、お姉さんとも言ってたのよ、ありゃダメだ、あの家は母さんがバカだからって」

「二人がそう思ったからって、私にそう言わないで。言われたら本当にバカなのかもしれないって思う」

「だって本当にバカなんだもん」

ムムム。

バカって言わないでって初めて言った。

それでもバカって言われたのに、なぜだろう、ちっとも悲しくないし、恨みもないし、すっきりした気持ち。

なぜかしら。

念押しまでされたのに。

ああきっと・・・。

私が私を庇ってやったから。ちゃんと、声に出して。

言ってもどうせ変わらないと思って黙っていたが、相手は変わらなくても自分に響く。

私が「俺の魂をいじめるなっ」と声に出してやったから、心の中の私が「わーい、わーい」と喜んだんだ。

じっとこらえるのって私に「いいから我慢しなさい、とにかくあなたは我慢しなさい」ってやってることなんだ。

ごめんよ。私。

もう、やらないよ。

 

 

うちの奥様お口が悪い

「ごちそうさま。ありがと、美味しかった。これ、吉野家で食べたら500円とるよ」

鮭と納豆、トマトとイチゴに浅蜊とキャベツの味噌汁。

「失礼な、500円なんて」

「あ、違う違う、もっとするする、700円くらい」

「じゃ、置いてけ」

「え?」

「700円、置いてけ」

「ヒェーン」

階段上がって着替えて降りてきて玄関で靴を履く。

「あ、ありがとピカピカ」

英語のCDを聞くために、耳にイヤホン突っ込んでそう言う。

「じゃ」

出勤前、ハグをするのがなんとなくの習慣になっている。愛情表現というよりはガシッと肩を抱きあい、背中を叩き気合をいれる。

外国の男同士の挨拶のようなエールの交換のようなものだ。

「はずせ」

「へ?」

「その耳に入れてるイヤホン外せ」

耳から英語教材のフレーズが溢れてる。

「だってこれ、いろいろ準備がややこしいんだもん、コードが絡まって」

「じゃ、その英語の女性とハグすればいいじゃん 」

「わかったわかったわかった」

いってらっしゃーい。

くしゃみするときは鼻に手をあてること、ご飯は左手出すんだよ。

はいはいはいはい。

いい加減なやつだ。すでに耳にイヤホン、聞き流しつつ調子よく手を振ってご出勤。