ジャカリコと棒付きキャンディ
新しいベッドが届いた。
結局 あのれからすぐに注文した。ちょうど無印良品が良品週間で、1割引だったことを思い出したのだ。
あれこれネットの写真だけを頼りに決断して買うのはかなりの勇気がいるが、ここのものなら息子が使っている。小学校にあがるとき、学習机と一緒に揃えた。そのとき、散々店頭で親子三人寝てみたから間違いはない。
良品週間の案内はいつもメールに届くが、1割引だからといって、わざわざ買いに行くこともないと、ほとんど無視していた。
というよりむしろ、姉が「無印、今日から良品週間だから」とシャツや下着をいそいそと買いに行くのを「バーゲンだからって、定価とそうたいして違わないのに」と冷めた視線で見送っていたくらいだ。
ところが。今回のことでよぅく、わかった。
なんのための良品週間なのか。
ベッドのような大物になると、一割は大きい。今回ほど、この時期を逃すものかと必死になったことはなかった。一割を馬鹿にするものは一割に泣く。姉よ。これまでの密かな冷ややかな視線を心から詫びよう。
あれほどどの家具専門店のサイトを見て回っても、納期は早くて12月18日だったのに、11月16日に注文して19日に届くというのも好都合だった。
そして今日、それがやってきた。配達の二人組のお兄さん達はさっさかさっさか、大きな荷物を運び込む。マットレスをどかし、いよいよこれまでのベッド枠を解体する。
傾斜したところを補正するために挟み込んでおいたMacBookの箱を見た一人が「すごいな」とつぶやく。それからベッド枠のネジを覗き込んで「マイナスか・・外れるかな・・」と触ったとたん、ガタンっと一気に前方が床に落ちた。
「って言ってたら外れた・・!」大爆笑しながら「これはギリギリでしたね」と、あっけなくただの板切れになった枠組みを拾い上げ、ひょいと担いで降りていった。
仕事とはいえ、自分の寝床のために二人の大人が何度も階段を大きな荷物をもって行ったり来たりしているのを見ていると申し訳なくなってくる。すいませんねぇ、ありがとうございますとウロウロ側に立っていると今日はベッド・デイだと教えてくれた。いつもに増してベッドの配達が多いそうだ。これからあと三件、どれもベッドだと言う。そのうちの一件は三つ、いっぺんに届けるらしい。
「なんでだろう。みんな暮れだから家具を新しく新調するのかな」
「いえ、ちょうど時期が良品月間と重なったから・・・」
自分こそその恩恵にあやかっておきながら暮れだからとは、なんと間の抜けた推理だ。
迷いのない手つきと早さで作業は一時間ほどで終わった。
ゆっくりお茶でもというのは、きっと時間を急ぐ彼らには野暮なんだろう。なにかお礼がしたい。
子供騙しのようでかえって失礼かと迷ったが、じゃがりことヤクルトを二つづつ紙袋に入れて料金を支払うときに渡した。
「気の利いたものじゃなくて」
「あぁ!ありがとうございます。集中力が持たなくなってくるんで、糖分補給になるからありがたいです」
ありがたいという言葉にホッとしたのと、糖分補給という単語をキャッチしたのとで、踏み込んでみた。
「あの、飴、舐めますか?」
男の人は飴なんてもらっても邪魔くさいだけだろうと思っていたが、聞いてみる。
「舐めます舐めます、なんでも食べます」
じゃ、ちょっと待ってと、ペコちゃんの棒突きキャンディーの袋と塩飴の袋を持ってきた。
「いよいよ、子供のお菓子みたいでごめんなさい」
「いや、ありがたいです、こんなにいいんですか、すみません」
爽やかにやってきて、爽やかに去っていった。
一歩踏み出してみた。自己完結してなにもせず返さないでよかった。
思ってもいなかった暖かい反応に見送ったあとも心が弾む。
じゃがりこにヤクルトに棒付きキャンディ。
あんまり冴えないけれど、気持ちを伝えられたことが嬉しい。
僕の奥さん
食器を洗い、鍋を洗い、ついでにステンレスの洗い桶と流しを洗う。
油物を食べたあとでなくても食器をつけておいた洗い桶の底には、いつもうっすら白く曇ったぬめりが残る。
スポンジを取り替え洗剤をちゅーっとかけ、桶の底、裏、縁、をこすり、そのままシンクも泡立てる。
この作業をやっていると必ず思い出す。
結婚して間もない頃、母がクラス会にいくため、実家に夕飯を作りにいったことがあった。めったに夜、家を空けることのなかった母だったから、姑と父ふたりきりで食事をさせるのは、とても気まずく、嫌だったのだろうと思う。
「あなた、ちょっときて二人の間にはいってよ」
事前に母から電話があり、指令をうけたのだった。
気難しい父と、父の気に触るようなことばかり言ってしまう祖母との険悪な食事は、テレビ番組にやたらひょうきんにツッコミを入れる私の軽薄さに父が笑うという方法でなんとか乗り切った。食事が済み奥の部屋にステレオを聴きに父が席を立つ。祖母も自分の部屋に戻った。
食器を片付け洗い、いつものようになんとなく自然な流れで洗い桶とシンクを洗っていた。
そこに、奥の部屋から出てきた父がそれをみつけて、こう言ったのだった。
「これ見よがしに、いつもやらないそんなとこまで洗わなくていい!」
一瞬なにを言っているのか意味がわからなかった。父は怖い顔をして睨んでいる。明らかに咎めている顔つきと口調だった。
母は大雑把な性格で、毎回流しを洗ったりしないのだった。
私のこの習慣は結婚してからのものだ。小さな2DKの新居だったが、自分の城だと思うと嬉しくて毎日家中ピカピカに磨いた。トイレも床も、窓のサッシも、風呂も、そして、シンクも。たった半年かそこらの間に身についた癖のようなものは、確かに実家で母の手伝いをしていたときにはやっていないことだった。それこそ、母への当てつけのようになってしまうので、自分の持ち場はあくまでも補助だと、そこまで手を出すことはしなかった。
久しぶりにやってきた娘が母親のいない台所で得意になってあちこち磨き上げている。父はそう思ったのだ。
誤解だと気がついたわたしは、いつになく強い口調で
「これ、いつもやってることだよ、べつにここに来たからってわけじゃないよ」
とまっすぐに見返した。
私が面と向かって歯向かうような態度をすることがめずらしかったからか、睨み返された父は、一瞬キョトンとし、決まり悪そうに笑った。
「そうか、そうか、それは失礼」
なにかをしにきたはずなのに、照れなのか鼻歌をうたいながらそのままな奥に引っ込んでいった。
あのときは、危うく勘違いされるところだったという安堵感と、父が一瞬見せた、母のため、たとえそれが娘だろうとナワバリを侵すのは許さんと向かってきた怖い顔に感じた寂しさとで動揺するだけだったが、あれから時が経てばたつほど、何度思い返してもおかしくなる。
母のことが大好きで、僕のお嫁さんを悪くいう人は許さないと、いつも言っていた父。祖母と母が意見が対立したときも、私たち娘が母親と喧嘩したときも、どちらの言い分も聞かず「僕はお母さんの味方」と宣言した。
そう言われてしまうとこっちはもう、かなわない。どんなに相手がおかしいと思っても、自分が間違っていないと思っても、この一言で母は「ほうら」と勝ち誇り私達はやるせない思いを消化不良のまま抱え、事態は終結となるのだった。
嫁いだ娘が無意識につい、実家のシンクを洗っていただけでも、それを「当てこすり」と思い込んでしまうほど、一生懸命妻を守ろうとした旦那さん。
僕の奥さんをいじめる奴はゆるさない。
そう牙を剥いてきた父のあのふくれっつらが、今はかわいくてならない。
ベッド壊れた
昨日、あてどなく散歩し、ぐだぐだ帰ってきた夕暮れから、一気に事件性のある一日になった。だった。ドトールで広げた本に思わず集中してしまい、気がつくと外は真っ暗。
家に着くと、ちょうど、門を出てきた息子が床屋にいくところに遭遇した。ハイタッチをして「こうたーい」と送り出す。
二階に上がり、洗濯物をとりこむ。ベッドの上に乾いた服をぱさりと放り、そこに寝転んだ。日の当たった布のにおい。目を閉じる。
どかっつ。
身体が急に傾いた。なに?なにがおきた?
立ち上がりよくみると、フレームの一部がはずれ、床に落ちている。ねじと金具をひっかけるような形でとめてある、その金具の方がぐにゃりと歪んでいる。
しばし、呆然とはこのことか。本当にしばらく、固まった。
とにかく直さないと。しかし、マットレスと布団がのっかっているので重くて持ち上がらない。そして落ちたはずみで床に引いていたラグを噛んでしまって、斜めにゆがんだベッドはびくともしない。
こうなると夕飯のことなど、もう二の次だ。
現状回復しようと、あの手この手で挑戦するがフレームの木枠をつなげている金具自体が歪んでいるため、手の施しようがない。
そもそも、このフレームは私が高校のときに姉とそろいで買ったものである。それを夫と私でこれまで使い続けてきた。今度の3月で50になるから、かれこれ32年も使ってきたのだ。これまでよく壊れなかったものだ。
新しいのを買うしかない。
無惨なベッドを置き去りに、今度はパソコンを立ち上げる。
ベッドフレーム、即日。と検索すると出てきた。が、どれもパイプだったり、やたらカントリー調だったり、若い女の子のかわいらしい部屋に似合うようなものばかりだ。ええい、やむを得ん、と、思ったがやはり、ゆくゆく後悔するような買い物はしたくない。
また、パソコンを閉じ、ベッドに立ち向かう。
そこに息子が帰ってきた。
「ただいま。どした?なにやってんの?」
「壊れた・・ベッド・・直らない・・・金具が・・・もうやだ・・」
「なに?いま?買ったら?新しいの」
「納得いくようなのは12月下旬にならないと届かない、即日はかわいい女の子向けのしかない」
「親父のベッドで寝ればいいじゃん」
「やだ〜!!」
もう、疲れ果てて訳がわからなくなっている。とにかく息子をつかまえ、二人掛かりでなんとかフレームを持ち上げ、床と壊れた箇所の間に、MacBook Airが入っていた白い箱を差し込んだ。箱の高さがうまいことあって、一見、ベッドは床面との平行さを持ち直した。
「ちょっと寝てみて」
息子を横にさせてみる。
「どう?」
「まぁ・・・微妙〜に、斜め」
しかたない、それでも今夜はこれで寝るか。
「親父のが開いてるんだからそっちで寝ればいいじゃない」
「やーだー。おっさんの匂いがする」
「傾斜と親父のベッドとどっちを選ぶんだよ」
「傾斜」
そのまま一階に下り、速攻鍋を作って夕飯にした。
それでもMacのあの白い箱の威力はすごい。結局つぶれることなく、朝まで私を支えてくれた。
早朝、ベッドの脇に立って誰かがこっちを覗き込んでいる。
夫だった。そうだ。今日、日帰りで帰ってくるって言ってたっけ。
「ただいま。結婚記念日帰れなかったから帰ってきちゃった」
「ベッド壊れた」
仕事をやりくりして夜行バスに揺られ兵庫から辿り着いたばかりの夫に寝起き一番に出た言葉が「ベッド壊れた」。
どこ?という夫に、ベッド下のMacBook Airの箱を指差す。
「お・・・これは・・・買いなさい、新しいの」
もう、昨日がどんなに大変だったか、どれだけ疲れ果てたか、どんなに途方に暮れたか一気に話したいのをぐっとこらえ
「おかえり。おなか空いてる?シャケと納豆でいい?」
のそのそむっくり起き上がる。