冒険
なんだか毎日家族のリズムに合わせている毎日が続き、自分は自由なんだということを確かめたくなって目的もなく外に出た。
午前11時。
これは散歩ではない。
家事も生協の受け取りも、留守番も、帰宅時間もすべて取っ払って制限なく、どこに行ってもなにをやっても構わない1日。夕飯までに帰ればいい。
「あてもなく、フラフラしてきます。夕飯までに帰るから。ご飯用意してあるからね。おでんはタッパーの蓋をずらして、チンしてね」
あてなくフラフラ。そう宣言するといっそう、自由度が増す。
息子は休講で家でまだ寝ている。お盆に昨夜のおでんの残りと納豆、温泉卵、味噌汁に蜜柑とヤクルトをセットして置いてきた。おそらく2時過ぎに起きてくるから、朝昼兼用になるだろう。
さてどこに行こう。一番最初に浮かんだのは神保町。あの、すずらん通りと古本屋街が私のふるさと。本を買わなくても、ただ、歩きたい。あの町並みに溶け込みたい。
数歩進んで駅に続く、気付かないくらいの傾斜の坂道が今日はしんどくて、隣駅の三軒茶屋まで下り坂を歩くことにした。ぷらぷらしながら、本当に神保町?と自分に聞く。
「どこでもドアで行けるならぴょんっとそのまま移動してあそこを歩きたい。でもなんか今日、地下鉄に乗るのが嫌だなぁ」と答える。
あたし、疲れてるんじゃないの?さっきも、いつもはなんともない坂道に回れ右したし。そもそも、自由を確かめたくなったって・・・なんで急に。昨日の夜、久しぶりにお腹下したし。心?体?風邪?
「ううむ。そう言えば、変かも、この行動。こういうときは大人しくしておいた方がいいよね。神保町行くとつい、立ち読みしたり何件も本屋見たりするし。欲しい本がきまってるわけでもないし」
三軒茶屋についてしまった。
このまま帰るのも。かといってどこ行こう。そうだ。もうひとつ歩いて池尻大橋の図書館に行くか。
また歩く。
そして着いた。池尻。
ところが、ココロの方が『としょかん〜?なんかいつもと同じじでつまんない〜」と納得しない。体の方が「でもそろそろ座りたい」と立ち止まる。
そうだ。バス。
こんどはバスでもう一駅先の渋谷に。
着いてしまった。
渋谷は好きじゃない。ワクワクしない。忙しくエネルギーに満ちていて、人も車も音も情報も私のテンポと噛み合わない。
で、どうするよ・・・。
「神保町〜!こっから地下鉄でいけばすぐじゃん」
『え〜やだ。地下鉄。」
「でもどっかいつもと違うとこ行きたい」
「じゃぁ・・・東急本店の丸善まで行く?」
「あぁ。それでもいいよ。あそこ、面白い本いっぱいあるし」
「でもなぁ・・あそこまで歩くのもやだなあ。人混みかき分けていくの、疲れる」
「・・・やっぱり、調子わるいんじゃないの?体くん」
「でも、なんかパーっと気持ちが弾むことしたくなったんでしょ。ココロちゃん」
渋谷のバスターミナルの雑踏の中、ぼんやり立ち尽くす。
試しに目の前にある東急東横店の雑貨をのぞくが、やはり気が乗らない。TUTAYAでも覗くか・・特に観たいものもないし・・。
結局またバスに乗って家の方向に戻ることにした。
始発のバスの席に着いてホッとする。なにをしたかったんだ私は。やれやれ。
あっという間に今来た道を逆方向にバスは行く。いつものスーパーの前に停まった。
あれだけ冒険する勢いで出たのに時刻はまだ1時。見慣れた平和な風景。
やっぱりここだ。ここでいいんだ。
スーパーでもやしとビスケットを買い、駅の上のいつもの本屋に寄る。
文庫を二冊買った。
そのまま隣のドトールに行き、コーヒーとパンと、今買ったばかりの本をテーブルに置き席に着く。
あ・・・。
ワクワクしてきた。ワクワクしてきたぞ。
そこに息子からラインが入った。
「夕方5時に髪切りに行くことにした。」
「了解。今、駅まで戻ってきた。お昼食べて少しここで本読んで帰る」
「ゆっくりしなさい」
このやりとり。この街。このドトール。
野望を抱いてみたけれど、結局わたしはここが好き。
新しく生えた枝と葉っぱ
母が最近よく来る。
来て、ばーっと喋って、満足すると帰っていく。
昨日、いきなりやってきて
「いま友達と話してて、子育て失敗したってグチグチ言うから、そんなこと、今更いったって仕方ないわよ。あれしかやりようがなかったんだから。私はそんなこと知ったこっちゃ無いって言ったわ。うちも大失敗したけど責任なんかいまさらとれないわよって・・・」
がーっと勢いよく話し出した。
表情はわらっているけど、目はわらっていない。
おそらくその友達にはなしているうちに「そうだわ、わたし、一生懸命やったもん、悪くないわ」と思い、それを私に言いたくなったのだろう。
母の言い分として。
断っておくが、私は一言も母に「どうしてくれるんだ」と言ったことはない。
ただ、あるとき、一度、彼女を心の中で切った。そうしないと窒息しそうで、死にたくなったからだった。
いいなりになることをやめて心を閉じた私に母は怒り、揺さぶり、泣いたり鬱っぽくなったり、荒れた。
途中、自分が苦しめているそのありさまを目の前にして、もういいや、私が自分を押し殺せばまた平和になるんだったら・・とめげそうになったが、結局、母と自分の人生どっちだと思えば、自分を選んだのだった。
一度、バッサリ切りおとすと、しばらくたってそこから新しい芽が生えた。
小さく薄い粒みたいな緑の芽は放っておいても、一度芽吹いたら勝手にどんどん命を伸ばしていった。
だから、今の母と私の関係は、昔のとは違う。
幹も根っこも同じだけど、今のは再生した新しい枝と葉っぱ。
もう、母が怖くない。傷つくことも、ない。
母親って不思議だ。鬱陶しくて、手強いくせに、頼りなくて可愛くて、つい甘やかしてしまおうとする。
喜ばせたくなる。守ってやりたくなる。嫌いになれない。やっかいな人。
「いいけど、私、その件に関して相槌打って話しを広げる気はないから。そこまで」
ぴしゃり。
もう「いいのよ、誰も悪くないの、タイミングと私の未熟さと、いろんなことがこんがらがってしまったの」なんて言わない。だってあの枝はもう切っちゃったんだから。
正体のない不確かなものに、ああでもないこうでもないって、まったく意味がない。
あるのは今。
「ちゃんとお母さんの最期までそばにいるよ」
母との関係の苦しさは深い意味があった。通るべき道だった。切るべき枝だった。
一度、ちゃんと嫌いになって、好きになれてよかった。
ちゃんと見てるよ
朝、ラジオで「今朝は寒いけれど、空気が澄んでいて、各地方、富士山が綺麗に見えるでしょうね」とアナウンサーが言うのを聞いて「もしや」と思い行ってみた。
わが町の富士スポット。
きっと高いビルの上に上ると、もっと絶景が見られるんだろうけれど、ここが、私にとって気軽に会える富士山の場所。
ニョキ。
読んだ?おはよう。
ぐんとそびえ立つ、迫力ある姿ではないけれど。
車の間から、顔を出してこっちを眺めている。
なんか、授業参観のとき、お父さん、こんな感じで立ってたなぁ。
「ちゃんと見てるよ」
今も空で見てくれているのかもしれない。